<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
混合薬とは、異なる種類の薬を混ぜて、食用するものを言う。
混合した後の薬は、その中の最も期限の短いものを基準として、時間を計算する。
例えば、漢方薬の材料は、一般的には、終生薬に相当するが、しかし、もし、蜂蜜に混ぜたならば、7日薬となる。
もし、7日薬または終生薬を、食べ物に混ぜたならば、午前に服用しなければならない。
例えば、クコ、朝鮮人参、ニッケイ等の漢方の材料は、終生薬であるが、しかし、鶏肉と一緒に煮た場合は、非時に食する事はできない、等である。
南伝の出家者に供養するのに相応しくない物品としては、たばこ、酒、化粧品、香水、娯楽用品、ゲーム、武器、金銀、宝石、装飾品等がある。
仏陀は、もし、人が知っていながら、如法でない物品を、わざと如来または如来の弟子に布施するならば、”非福”(apuñña)を得る、と言う。
南伝の出家者は裸足で托鉢する為、三宝に敬意を表す為、施主は供養をする時に、靴を脱ぐべきであり、かつ、屈んで、自ら手に持って、供養品を出家者の鉢の中に入れるのがよい。
《増支部・五集・底甘陀品》の第147経の中において、仏陀はこのように言っている。
「以下の五種類は、善士の施である:
慇懃に布施する。
敬意を以て布施する。
自ら布施する。
捨てるのでない物を布施する。
業報を信じて布施する。」
もし、布施をする時、この五法を具備しているならば、施者に、長期に亘る豊かな利益と幸福を齎すことができる。
このことはなぜ、多くの敬虔な仏弟子が、出家者に布施をする時、いつも屈んで、かつ非常なる敬意をもって供養するのか、という問いの、答えでもある。
実際、このような行動は、出家者が必要としているのではなく、それは施者の必要によるものである。というのも、敬意をもって出家者に布施する事は、施者本人に、長期的な幸福と利益を齎すからである。
「・・・サンガに布施する功徳と果報は、計算する事ができない、衡量する事ができないものである。私は宣告する。個人に布施する功徳は、サンガに布施する功徳より、永遠に勝ることはない。」《中部・施分別経》
(4-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>