私はほぼ毎日、某温泉施設に出かけて水中運動をします。
だいたいは、空いている 13時ごろに行きますが、それでも人に逢う事はあります。
ある日、女性の更衣室にての会話。
Aさん:「なんだか毎日うっとうしいわ」
私:「どうしました?」
A:「心配事があって、それを考えてしまうので、寝られないのです。」
私:「昼間何か嫌なことがあって、つい考えてしまうとか?
誰か嫌な人、嫌いな人の事を考えてしまうとか?」
A:「いえ、他人は関係ないのです。
自分の事が嫌で、自己嫌悪に陥るのです。」
私:「自己嫌悪も、心の向かうベクトルが内向きというだけで、やっている事は、他者への嫌悪と同じですよ。」
「寝る時に、羊が一匹・・・と数えているのですか?
<羊>は概念なので、考え事をしてしまう癖を治したいのならば、羊を数えるより、息を見た方がいいですよ。(厳密に言えば、呼吸も概念ですが、自分の身体に起きている事実として、受け入れ易いので)」
「(初心者は声に出してよいので、寝る時に)
今、息を吸った、今、息を吐いた、
と確認する様にして下さい。」
さて、これでAさんが眠れる様になるかどうかは、彼女の内包する因と縁、業次第ですが・・・他人を責めるのは良くないけれど、自分を責めるのは善とまでは言わないものの、向上心の一種という考え(常識?)は間違っていますよね。
自分を責める時の、その時の、己自身の心は不善です。
これが分かるだけでも、少しは、生きやすくなるかと思います。
追伸:自分で自分の事を<嫌なやつだ>と、24時間思い続けている人はいないかと思いますが、何か失敗をして
「ああ、またやってしまった。自分は何てドジなのだ」
と自分を責める事は多々あるかと思います。
そういう時、私は、
「ああ、長い輪廻の旅路の内に、心に悪い癖がついてしまったのだなぁ。これ、すぐには治らないなぁ・・・テヘッ」
と笑い飛ばす様にしています。
この方法、心が軽くなること請け合いですが、ただ、<なんでもかんでもテヘッ> 戦法、行き過ぎては、無責任人間になりますから、まぁ、程ほどに。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>