<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(原文P50)
触の生起によって、感受が生起する。
触とは何か?
仏陀はかつて、何度も解説して言う。
例えば、前に引用した《中部・六六經》の中において、仏陀は、六触身(cha phassakāyā veditabbā)を了知するべきであるが、それは観智を通して了知するべきである、と述べている。
仏陀はまた続いて言う:
” ’六触身は知られなければならない’ と言うが、何の縁でこの様に言うのであるか?
眼と色生眼識の縁によりて(cakkhuñca paṭicca rūpa ca )、三者は結合して触となる(tiṇṇaṃ saṅgati phasso);
耳と音の縁によりて耳識が生じ、三者が結合して触となる;
鼻と香の縁によりて鼻識が生じ、三者が結合して触となる;
舌と味の縁によりて舌識が生じ、三者が結合して触となる;
身と触の縁によりて身識が生じ、三者が結合して触となる;
意と法の縁によりて意識が生じ、三者が結合して触となる。”
(3-73につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>