南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-58)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(原文P 38)

当該の経の中において、仏陀は、以下の様に解説する:

”比丘たちよ。

何に対して証知しない、遍知しない、離棄しない、捨断しない者は、苦を滅尽することができないのか?

比丘たちよ。

眼に対して証知しない、遍知しない、離棄しない、捨断しない者は、苦を滅尽することができない。

色・・・眼識・・・眼触・・・この眼識の縁において受が生じ、あるいは楽、あるいは苦、あるいは不苦不楽である時、これに対して証知しない、遍知しない、離棄しない、捨断しない者は、苦を滅尽することができない。”

仏陀はまた、同様の方法を用いて、

耳、音、耳識、耳触、耳触の縁によりて生じた所の受、

鼻、香、鼻識、鼻触、鼻触の縁によりて生じた所の受、

舌、味、舌識、舌触、舌触の縁によりて生じた所の受、

身、触、身識、身触、身触の縁によりて生じた所の受、

意、法、意識、意触、意触の縁によりて生じた所の受

に対して証知しない、遍知しない、離棄しない、捨断しない者は、苦を滅尽することができないと、説明する。

また次に《第二不遍知經》

(Dutiya aparijānana Sutta)の中において、仏陀は六内処、六外処、六識及びそれぞれ個別の識によって認識される所の法、例えば眼識の認識する事のできる法

(cakkhuviññāṇaviññātabbā dhammā)しか列挙していない。

義註では、ここにおいて、それは色(gahitrrūpameva)をのみ指すか、または視野に入るもの(āpāthagataṃ)を指しており、(+それによって)視野に入らないもの(anāpāthagataṃ)と、対比させているのである(+と解説する)。

”しかし、ここいおいては、眼識と相応する所の三種類の蘊(idha pana cakkhuviññāṇasampayuttā tayo khandhā)を指しているのである。”

これはすなわち、眼識を遍知する時、それに相応する心所ーー受、想、行蘊ーーもまた遍知されなければならない、という事を述べているのである。

(3-58につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>