第四節 第二と第三聖諦を知見する
しかしながら、涅槃を証悟する為には、我々は苦集聖諦を知見しなければならない。
仏陀は《転法輪経》(Dhammacakkappavattana Sutta)の中において、以下の様に解説する:
「比庫たちよ、
これは苦集聖諦であるーー
この愛(taṇhā)が、再びの有を引き起し、喜、貪を俱し、処々において喜楽する、それはすなわち、
[1]欲愛(kāmataṇhā)
[2]有愛(bhavataṇhā)
[3]無有愛(vibhavataṇhā)。」(S.5.1081)
仏陀は、苦集聖諦を詳細に解説して、(それを)縁起(paṭiccasamuppāda)<注66>と呼ぶ。
「比庫たちよ、
何が苦集聖諦(Dukkhasamudayamariyasaccaṃ)であるか?
[1]無明(avijjā)の縁によりて行(saṅkhārā)(あり、以下同様)、
[2]行の縁によりて識(viññāṇa)、
[3]識の縁によりて名色(nāmarūpa)、
[4]名色の縁によりて六処(saḷāyatana)、
[5]六処の縁によりて触(phassa)、
[6]触の縁によりて受(vedanā)、
[7]受の縁によりて愛(taṇhā)、
[8]愛の縁によりて取(upādāna)、
[9]取の縁によりて有(bhava)、
[10]有の縁によりて生(jāti)、
[11]生の縁によりて
[12]老、死(jarā-maraṇa)、愁(soka)、悲(parideva)、苦(dukkha)、憂(domanassa)、悩(upāyāsā)。
この様にして、苦蘊全体が生起する。
比庫たちよ、
これを苦集聖諦と言う(Idaṃ vuccati、bhikkhave、dukkhasamudayaṃ ariyasaccaṃ)。」(A.3.62)
上記の事柄は、同じく如実知見しなければならない。ある一生の五種類の因(無明、行、愛、取と有<注67>)が、如何にして再生、すなわち、五種類の果(識、名色、六処、触と受)を齎したのかを、知見しなければならないのである。
あなたはこの一連の過程が如何にして生じ、連続し、輪転して止まる事がない事を見る必要があるのである。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>