南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」3-1(116/203)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第三章 成果

聖者は生死輪廻を脱し離れ、一切の貪愛を断じ尽くした。涸れた河道の中、愛水は二度と奔流する事はなく、生死の巨大な車輪は、二度と回転する事はない。

これが苦の止息;涅槃である。(小部ニカーヤ)

3-1 16階智

1、名色分別智

この智とは、修行者が、<今・ここ>において体験・体得する実相である。

実相とは、身・心の自然な状態の事を言い、この智は、身・心を「我」として妄執する邪見を取り払う。というのも、身・心を「私」として妄執する煩悩(邪見)は、(+あなたの中に)非常に長い間存在し続けてきた。故に、この智(身・心の無我を見る智慧)は、修行者にとって、<今・ここ>において、非常に掌握しにくいものである。

この階智を成就したいと思う人は、仏陀が《大念処経》の中で述べている四念処に基づいて、正しく修法しなければならない。

この智を成就したいと思う修行者は、徐々に強化した思慧を用いて、常に<今・ここ>において、身・心を掌握する事。正念正知が非常に鋭利な智慧を生起させ、次に正見を誘発させるまで、修行しなければならない。

たとえば、正見が生起した時、修行者は、<今・ここ>において、何が色身で、何が心(座っている色身、心が聞いているなど等)でるかを知ることができるーーまた、彼は、心が、これは座っている色身(+に過ぎない事)など等である事を知る。

そして、更に一歩進んで、彼は、世界の万物は、ただ色法と名法に過ぎないーー非男、非女、無我であり、または霊魂はないーー事を理解することができる。

修行者は今、この事を知った、または彼の内心において、深く体験・体得したのである。

自我の邪見が打破された時、修行者は非常に驚く。というのも、生まれてからこの方、この種の「私」が無い、という感覚を体験した事がなかったが故に。

(3-2につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

(3-2につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>