<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
2-2 実修
この種の修法は、各種の姿勢を念住する:それはすなわち、行・住・坐・臥である。
例えば、座っている時の「三心」--精進、正念、正知ーーは、座っている姿勢を覚照しなければならないし、また、それが座っている色身である事を、認識しなければならない。
三心(我々自身ではない)が座っている色身を観照している。
それはちょうど、舞台の上にいる演者を見ているように、観衆はただ演者に注目し、演者の行為や演出をコントロールする事はない。
演劇を見るのと、<今・ここ>に生きるのは同じ事であって、過去や未来に興味を感じない。
故に、修行者は、修行する時、演技を見ているようでなければならない。
例えば、修行者が座っている色身を観照する時、痛みが生じるが、その時、彼は座っている色身が痛いのだという事を知る。これは苦苦であるが、しかし、この時、苦受を観照してはならない。
というのも、今は身念処を修行しているのであって、故に、<今・ここ>において、我慢が出来なくて姿勢を変えざるを得無くなるまで、座っている色身の苦を何度も何度も観照しなければならない。このように実践すれば、修行者は、座っている色身の中に存在する苦諦を体験・体得する事ができる。
この事は、苦苦が色身から来るものである事(+を示しているが)、身・心とはすなわち、苦諦なのである。
(2-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>