南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」2-29

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

2-3-7 その他

病気は、修行の障礙にならない。しかし、修行者の多くは、(+病のために)座る色身を感じ取る事ができなくなる。というのも、このようにすれば、病状が更に悪化するからである。

彼はただ、疾病を観照し、姿勢の事はほっておくのがよい。

この時は、しっかりと、色身は苦である事を体験すればよい。これが苦諦である。修行者はこの時(+を利用して)、色身の無我を観照することができる。身体の状況は、コントロールできないものである事を。

修行者は、如何にして正念正知(<今・ここ>にある事)を知る事が出来るのか?

心が正念正知を生起させて観照する時、心は身体の姿勢を知っているし(これは正念の作用である)、また心は、今現前の姿勢は座っている色身など等である事もしることができる(これが正知の作用である)。正念正知が(+生起して、それが)観照する時の感受は、一種の修行における、心が不散乱で、不憂慮で、不安でなく、退屈を覚えない所の、感受である。

もし、修行者に精進が足りない時、懈怠が生じるか、または精神の集中ができない状態になる。不精進とは、修法に対して、正しい理解ができていない事から来るものである;苦を体得できず、煩悩を取り除く欲求も満たされない;また、我々はいつで死ぬかもしれないという事も体験・体得できないーー我々は、毎分毎秒を惜しんで修行しなければならない。

修行者は、仏陀の残した教えを忘れてはならない・・・それは四念処である。我々は、今生を利用して、しっかり修行しなければならないのである。

初心者は、この種の修法は、非常に高度で、また深い、善なる法(煩悩を断じ除く)である事を覚えておく必要がある。というのも、この修法に熟練すれば、あなたは苦から離れ、楽を得ることができるが故にーーしかし、この事を実現するのは容易ではない。修行者は成就に焦ってはならない。また、多くの修行者は、間違った修法に勤しんだ体験があるため、それを矯正する時間も必要である。

(2-30につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>