南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」1-55

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

実相とは、我々が(+上述した所の)座っている色身である。

座っている色身は、無知であり、無自覚である。そして、心が所縁(座っている色身)を認識するが、心もまた実相である。

世間には二種類の実相しかない:

すなわち、一種類は無知無自覚なもので、もう一種類は、霊々覚々のものである。

<今・ここの修慧>を捕捉するのが難しいのは、それが我々にいまだ煩悩が存在しているからであるが、(+修行に成功したいのであれば)不断に練習(<今・ここ>を保持する事)しなければならない。

(+修行者が)<今・ここの修慧>を掌握しなければならないのは、本を読む前に、先に文字を学び、文字を覚えてから、単語を読めるようになるのと同じである。

座っている姿勢から、立つ姿勢に変わる時にも、<今・ここ>を保持しなければならない。でなければ、煩悩は機に乗じて素早く入り込むからである。もし、不断に<今・ここ>を保持する事ができるならば、煩悩から遠く離れる事ができ、その事によって、修慧を引発し、無明を破り除く事ができる。

問:修行者は、(+己が)<今・ここ>を保持している事をどのようにして、知りますか?

答:修行者は持続して、正念正知を保持しなければなりません。もし、正念正知を具足しているならば、<今・ここ>を保持している事になります。

反対の表現もできます:もし、<今・ここ>を保持するならば、その時、正念正知もまた具足していなければなりません。

修行者は持続的に<今・ここ>を保持しなければなりません。このようであれば、真相を見る事が出来ますが、この真相とは、すなわち苦と身・心です。

(正念正知は、実際には、<今・ここ>において、身・心を観照する事と同時に実践されるべきものである。このようにすれば、「世間」五蘊への貪欲と瞋恚を断じ除く事ができる。)

この種の修行は、修行者をして実相ーー自然なる真実の状態ーーを見る事へと導く事ができる。そして、その事によって、身・心を「我」と見做す邪見を破り除く事ができる。

1-6-1 実相

実相とは、宇宙における一つひとつの事柄は、自然なる真実の状態である(+ことを指すが、それはすなわち)真相である;

真相とは、非男であり、非女であり、非個人であり、または非霊魂である、ということである。

例えば、座っている色身は、座っている所の姿の実相である。(自然なる真実の状態を理解・了解したならば、実際は、それは座っている色身ではなく、実相に過ぎない事が分かるのである。)

宇宙とは、ある種の仏法が述べる所の「実体の空」ではなく、それは自我の空または霊魂の空なのである。

実相は、色と心の二法によって構成されているーーそして、心法は、三つ部分に分けることができあるが、それは以下の通りである:

(1-56につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>