☆「掌中の葉」(翻訳文)2-30
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>
座禅・瞑想(+を意識的に)終わらせる事、すなわち、収功は、気の滞りを治すよい方法である。
この事は、気功の鍛錬を終わらせようとする人が、収功を、必ず行わなければならないのと同じ道理であるが、双方ともにそれは、エネルギーを回収し、気血を通らせ、座禅・瞑想または気功の鍛錬における成果を回収して、己自身に利用できるようにし、また、ネガティブな作用が生じるのを防ぐことでもある。
収功の後においては、あなたは、定を修習した功徳を親友、仇敵、護法神等、ないしは一切の衆生に、回向するべきである。
その後に、以下のような懺悔をする、すなわち;
誠心誠意、真心をもって、己が以前、礼を失したことのある、すべての衆生に対して謝り、彼らに許しを乞う事。
ある種の人々は、定の修習の前に、先に懺悔をするのが好きであるが、それもまた、大変によい方法である。
最後に、両手を熱くなるまでこすり、頭部、顔と肢体を按摩し、その後にゆっくりと体を起し、その他の事柄に取り組む。
◆結論
(一)収心ーー修行の目標を手放し、心をして、日常の境界に戻ってくるようにさせる。
(二)収功ーー
1、すべての、良質のエネルギーを身体の内に回収する。
2、身体の各部位を感受する事と、一切の執着を放下することを通して、エネルギーを全身にいきわたらせる。
(三)立ち上がる前にーー
1、功徳を、親友、護法神などに回向する。
2、礼を失したことのある一切の衆生に、許しを乞う。
3、肢体を按摩する。
(2-31につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay