南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐45)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

多くの経典において、例えば《中部・六六經》(Chachakka Sutta)では、仏陀は、この種の身受が如何に生起するかを、解説している:

”身と触(kāyañca paṭicca phoṭṭhabbe ca)の縁によって身識(uppajjati kāyaviññāṇaṃ)が生じ、三者は結合して触となる(tiṇṇaṃ saṅgati phasso)。触の縁によりて受ある(phassapaccayā vedanā)。”

仏陀は《大念処経》の中で、苦聖諦を論談する時、身と触、身識の三者の結合によって身触(kāyasamphasso)が生じ、その後に受が生起する事を身触生受(kāyasamphassajā)というのだと述べている。

こうしたことから、通俗的な言い方では、人々は膝が痛いと言うけれども、それは身触生苦受である、と言える訳である。

何が身触生受なのか?

それは一種の心所(cetasika)である。

それは、それと同じく心所である所の、身触と共に生起するが、この二種類の心所は、みな身識の生起と共に、同時に生起する。

身識、身触と身触生受は、みな名法(nāma‐dhamma)である。

仏陀は言う:

それらは必ず、身体と触所縁という二種類の色法に依存して、生起するものである。

この様に、身受が生起する時、同時に名法と色法に、影響が及ぶのである。

我々は、後に四界分別を研究する場面において、身識によって生起する所の身体は、ただ身浄色(kāyapasāda)に過ぎない事が分かるであろう:

これは身十法聚(kāyadasakakalāpa)の中に含まれる、特定的な一種の色法であり、それらは全身に分布されている。

故に、通俗的な言い方で言えば、我々の全身は、触所縁による接触を、感受することができるという訳である。

(3‐46につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>