今、私の手元に、タイの風鈴が、一個あります。
粘土でかたどった、素焼きの犬が 5匹、天蓋から細い紐で結ばれてぶら下がっている、素朴な風鈴です。
これは、私が35歳の頃、タイのカンチャナブリにある中高一貫校で、日本語教師を務めた時に、中学生だったワランチャリが、私がプレゼントした日本語の絵本のお礼にと、贈ってくれたものです。
当時、私は、この学校の高校生に日本語を教えていて(彼らが親善大使として日本に行くため)、その高校生のお兄さん、お姉さんたちに交じって、私の授業に参加していたのが、中学生のワランチャリ・・・そして、生徒の中では、彼女が一番優秀で、難しい日本語をあっという間にマスターしてしまいました。
彼女と親しくなって、なぜこれほど(親善大使でもないのに、毎日日本語教室に来て)日本語を学びたいのかと尋ねると
「私は日本が好きなのです。
父は、私に軍人さんになれと言うけれど、私はなりたくないのです。私は、日本文化の研究者になりたい」
とさめざめと泣くのです。
その時、私は、中学生でも、これほどしっかりした女の子がいるのだと、感心を通り越して、感動したものです。
私は日本に帰国後、日本語の絵本を一冊買い求めて、彼女に送っただけで、それ以上の、何の手助けもできませんでした。
今頃、ワランチャリは 47、8歳、結婚してよき妻、よき母親になっているでしょうか?
軍人以外の、何かの職につく事ができたでしょうか?
私は15歳のころ、禅宗で出家する事を考えていましたが、インターネットのない当時、どこに行けば出家させてもらえるのか分からないまま(当時は、山田無文師が好きでしたが)、普通高校へ進学し、働くために東京へ出て・・・結婚して、子供が出来て、育児と仕事の両立に忙殺され・・・結局、テーラワーダで出家してサヤレー(一時出家でない)になれた時には、もう60歳を過ぎていました。
ワランチャリ・・・夢は叶います。
あなたが夢をあきらめない限り。
日本には観光でもこれますし、今は、社会人留学生にだってなれる時代です。
日本のどこかで、子供を連れたワランチャリに会えるかも・・・65歳になって、若き日に描いた夢をかなえた老僧尼の、もう一つの夢なのです。
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>