<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
3.1)五蘊を無常として随観する。五蘊に対する常想(nicca-saññā)を断じ除く事ができる。
3.2)五蘊を苦として随観する。五蘊に対する楽想(sukha-saññā)を断じ除く事ができる。
3.3)五蘊を無我として随観する。五蘊に対する我想(atta-saññā)を断じ除く事ができる。
3.4)かくのごとくに五蘊を随観し、五蘊を厭離(nibbindato)として照見できたならば、これによって五蘊を好む、五蘊への愛(nandi)を断じ除く事ができる。
3.5)五蘊を厭離として随観する。離貪(virajjanto)によって、それらを照見できるならば、これによって、五蘊の貪(rāga)を断じ除く事ができる。
3.6)離貪によって、五蘊を随観する。それらがただ滅しているだけであることを照見し、それによって五蘊の集(samudaya)を断じ除く事ができる。
このことは、最も根本的な縁起支:無明と愛を断じ除いたのだと言える。
3.7)五蘊を滅として随観する。五蘊への執着(ādāna)を断じ除く事ができる。このことは、出世間八支聖道の生起を通して、五蘊の取(upādāna)を断じ除くことに到達したのだと言える。
こうしたことから、仏陀は禅修行者に以下の様に言う
”無所依にして住み、世間の一切に執着しない”。
ここにおいて、仏陀は、経文の中において、入出息を修習する禅修行者に対して全体的な総括をしている:
【比丘たちよ。
比丘は身随観身において住する
(kāye kāyanupassī viharati)。】
あなた方が、四念処ーー出世間八支聖道へ向かう唯一の道ーーにおいて勤勉に修習し、かつ、苦滅聖諦の証悟ーー無為界(Asaṅkhatadhātu)の涅槃を証悟する様、祈願するものである!
パオ・セヤドー
(11-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>