<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
「意門転向」または「速行」の識(第一速行心、第二速行心~第七速行心)によって
・・・一刹那毎は、みな識(心)をもって心王となし、その他の相応する名法を心所として、名法の生・滅、無常・苦・無我を練習する。これは『心念処』の練習である。
安般の「意門転向」の受は捨受であり、「速行」の受は悦受である。禅定に入っている時の速行は、阿僧祇個であり、「受」はみな悦受である。
・・・一つひとつの刹那は、みな「受」心所を心王として、その他の相応する名法を心所とする。この様に生・滅、無常・苦・無我を練習する時、これは『受念処』である。
「意門転向」の12個の名法の中で、「識」「受」「想」を除いて、その他の9個の心所は「行蘊」の内容となる。
行蘊の中の「触心所」と「思心所」を心王として、その他の相応する名法を心所として、生・滅、無常・苦・無我を練習するのは、『法念処』である。
安般念の練習をする時、意門の中には54個の色法があるが、安般禅相は、意門の中の「心色10法聚」に依存している;
「心所依処色」とは、「心色10法聚」の第10法である。
安般禅相と意門の中の54個の色法によって、生・滅、無常・苦・無我を練習する。それは、安般初禅に入って、『身念処』を修する方法である。
安般の初禅に入る事ができる様になったなら、他の修行に転じることが出来るし、観禅 vipassana の修行、四念処(身念処、受念処、心念処、法念処)の修習に転ずる必要性も生じる。
一回目の安般初禅に入ったならば、「身念処」を修する事ができる。
~四回目の安般初禅からは、四念処の「法念処」を修する事ができる。
第五回目の安般初禅に入ったならば、意門の「名法」の生・滅、無常・苦・無我を修する事ができる。
第六回目の安般初禅に入ったならば、意門に依存して存在する54種の「色法」の生・滅、無常・苦・無我を修する事ができる。
第七番目の安般初禅に入ったならば、「名色法」の生・滅、無常・苦・無我を修する事ができる。第八番目の安般初禅に入ったならば、「五蘊法」の生・滅、無常・苦・無我を修する事ができる。第九番目の安般初禅に入ったならば、「12処」(意処と法処)の生・滅、無常・苦・無我を修する事ができる。
第十番目の安般初禅に入ったならば、「18界」(意界と法界)の生・滅、無常・苦・無我を修する事ができる。
この様に、安般初禅に入れたならば、観禅 vipassana に転ずるにしても、非常に多くの修法によって、修習、練習する事ができる。
(39につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>