本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-9(7/82)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
▲意門転向心は「捨受」であり、嬉しいとか、嬉しくないとかの(+作用は)なく、ご飯を食べるという事に、意識が向いたばかりの時を言う。
速行心が、嬉しいという、悦の受になる。
一刹那心毎の「受」は心王であり、その他の相応名法(受以外の心心所法)は心所であり、それを一緒にして、生・滅の無常・苦・無我を練習するのを、『受念処』という。
▲触心所とは、心念が目標に接触する事を言う;思心所は、心を助けて目標を取るのを言う。
「触」と「思」の心所を心王として、その他の相応名法を心所として、同時に、その生・滅、無常・苦・無我を練習するのは、『法念処』と言う。
四念処とは、煩悩から解脱したいと思うならば、修行しなければならないものであるが、それは、一般的な言い方で説明されるものではなく、真正なる究極法を目標とするものである。
(10につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>