<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hot>
▲仏陀は《大念処經》の中において、止の修習の紹介をする時、同時に、四念処の紹介もしたし、縁起法を含む広範囲の(+内容の)紹介をしている。
ここでは、仏陀は先に「安般念」、32身分、10種類の不浄観、四大分別を紹介している。
このことから、止禅にも「身念処」があることが分かる。
観の修習は、究極法を所縁とする;
止の修習は、近行定または安止定により、その中の一つを所縁とする。
近行定は、安止定に近い段階の定を言い、五蓋を離れているものの、未だ安止定に到達していない、中間的な定を言う。
観禅の定は、すなわち、近行定であるが、しかし、我々は「刹那定」というもう一つの語彙で区別する。
この刹那とは、静かになったその刹那、という意味の刹那ではない。
多くの緬甸人は、その種の定の刹那であると誤解していて、この様なレベルの修習でもって、歩く(+時は歩くを知るという)修習をすれば、生・滅の無常・苦・無我を知り、食事をする時に、食事における生・滅の無常・苦・無我を知る事ができる、と思っているが、しかし、それは間違いなのである。
《註釈》によると、いわゆる「刹那」とは、究極名法または色法の生・住・滅を合わせて一大刹那という(+ことから来ている)。
色法は常楽我浄ではなく、それは不断に生、住、滅する一大刹那、一大刹那の生、住、滅なのである。
生と滅という、この二つの小刹那の中間に、住という一小刹那があり、すべての究極色法または名法は、みな、生住滅の、この三つの小刹那があり、それらが同時に生、住、滅し去るのを、一大刹那と呼ぶのである。
(+心が)究極色法、名法の生住滅の状態に入り、それに(+心を)投入して(+それらを観察する事ができる)時、それを「刹那定」と呼ぶ。
観禅 vipassana には三種類の相がある:
無常相、苦相、無我相である。
止禅にも三種類の禅相がある:
遍作相、取相、似相である。
当然の事に、禅修行者は直接観禅、四念処を修する事もできるが、しかし、上に述べた内の、一種類の定力を必要とする。
(11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>