Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2021-07-09から1日間の記事一覧

翻訳『親知実見』#49-11

故に、身随観(kāyānupassanā)において、仏陀は、二種類の禅修行を教導した:止と観である。 入出息念(ānāpānassati)と32身分などは、身随観の内に含まれる。 故に、もし、あなたが、入出息念を修習しているのであれば、あなたは、すなわち、身随観を修習…

翻訳『親知実見』#49-10(387/446)

止禅と観禅 仏陀はまた、以下の如くの教導を行った: ”Yo ca vassasataṃ jīve、dussīlo asamāhito; ekāhaṃ jīvitaṃ seyyo、sīlavantassa jhāyino.” もし、人が100歳まで生きても、戒もなく、定力もないのであれば、一日生きて、戒を持して、禅定の修行をす…

翻訳『親知実見』#49-9

人間、一人ひとりには、皆、心がある。 心が、禅定を通して、完全に展開されたならば、観智、またすなわち、智慧であるが、それは、一人の人間を、貪染と生死輪廻の中から、徹底的に解脱せしめることができる。 しかし、禅定は、戒を基礎していなければなら…

翻訳『親知実見』#49-8

「これが戒(sīla)、これが定(samādhi)、これが慧(Paññā)である。 戒の遍修による定は、大果報あり、大功徳あり; 定の遍修による慧は、大果報あり、大功徳あり; 慧の遍修による心は、完全に 欲漏(kāmāsavā)、 有漏(bhāvāsavā)、 見漏(diṭṭhāsavā…

翻訳『親知実見』#49-7

修行の基礎 まず先に、我々は、戒を学び、かつ、戒を持さねばならない。もし、戒学を理解しないならば、我々は、己自身の行為を浄化することができない。 次に、我々は、心をコントロールし、心をして専注せしめる為に、止禅を学ばなければならない。もし、…

翻訳『親知実見』#49-6

我々は如何にして信心(=確信、以下同様)を表現するか あなたは、仏陀の教法に対して、充分に強い信心を擁しているか? 《陶師経》(Ghaṭīkāra Sutta)の義注の中において、以下の様に言う: ”Pasanno ca pasannākāraṃ kātuṃ sakkhissati.” 「信心(=確信)…