問答(七)
問7-1:想と想蘊、受と受蘊の間には、どの様な区別がありますか?
答7-1:
11種類の想(saññā)を合わせて想蘊(saññākkhandha)と呼ぶ。
11種類の受(vedānā)を合わせて受蘊(vedānākkhandha)と呼ぶ。
どの様な11種類か?
過去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、近いと遠い。
五蘊のすべては、みな、この様に理解しなければならない。
《相応部・蘊品・蘊経》(Khandha Sutta、Khandhavagga、Saṃyutta-nikāya)<注391>の説明を参照の事。
問7-2:記憶、推理と創造力は、どの様な心所に属しますか?それらは、五蘊の一部分ですが、では、なぜそれらは苦(dukkha)なのですか?
答7-2:記憶とは何か?
もし、あなたが、止禅の業処、例えば、遍相または入出息禅相を覚えていられるならば、それは正念(sammāsati)である。
もし、あなたが過去、現在と未来の究極名色法(paramatthanāmarūpa)及びその因を見ることができ、かつ、それらを無常(anicca)・苦(dikkha)・無我(anatta)として、観照することができるならば、これもまた正念であるが、それはすなわち、観智と相応する念である。
この種の念と、32種類の名法は相応しており、また、四種類の名蘊(nāmakkhandha)に帰納することができる。
仏、法、僧、及び過去に行った布施を憶念するのも、正念である。
もし、ある種の行為を憶念して、善法(kusaladhammā)が生じるならば、それもまた正念に属する。
しかし、もし、不善法(akusaladhammā)が生じるのであれば、これらは、不善法に相応する所の、不善想(akusalasaññā)に属するが、これらもまた、四種類の名蘊に帰納することができる。
善の名蘊と不善の名蘊は、皆無常である。
それらは、生じるや否や、即刻滅し去る。
(それらは)絶え間ない生・滅の制約を受けているが故に、苦なのである。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>