南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#47-1

問答(七)

問7-1:想と想蘊、受と受蘊の間には、どの様な区別がありますか?

答7-1:

11種類の想(saññā)を合わせて想蘊(saññākkhandha)と呼ぶ。

11種類の受(vedānā)を合わせて受蘊(vedānākkhandha)と呼ぶ。

どの様な11種類か?

去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、近いと遠い。

五蘊のすべては、みな、この様に理解しなければならない。

《相応部・蘊品・蘊経》(Khandha Sutta、Khandhavagga、Saṃyutta-nikāya)<注391>の説明を参照の事。

問7-2:記憶、推理と創造力は、どの様な心所に属しますか?それらは、五蘊の一部分ですが、では、なぜそれらは苦(dukkha)なのですか?

答7-2:記憶とは何か?

もし、あなたが、止禅の業処、例えば、遍相または入出息禅相を覚えていられるならば、それは正念(sammāsati)である。

もし、あなたが過去、現在と未来の究極名色法(paramatthanāmarūpa)及びその因を見ることができ、かつ、それらを無常(anicca)・苦(dikkha)・無我(anatta)として、観照することができるならば、これもまた正念であるが、それはすなわち、観智と相応する念である。

この種の念と、32種類の名法は相応しており、また、四種類の名蘊(nāmakkhandha)に帰納することができる。

仏、法、僧、及び過去に行った布施を憶念するのも、正念である。

もし、ある種の行為を憶念して、善法(kusaladhammā)が生じるならば、それもまた正念に属する。

しかし、もし、不善法(akusaladhammā)が生じるのであれば、これらは、不善法に相応する所の、不善想(akusalasaññā)に属するが、これらもまた、四種類の名蘊に帰納することができる。

善の名蘊と不善の名蘊は、皆無常である。

それらは、生じるや否や、即刻滅し去る。

(それらは)絶え間ない生・滅の制約を受けているが故に、苦なのである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>