近日、当ブログの読者の方から、
【あなたは仏陀に会った事もないのに、
『仏陀はこう言った』
『ああ言った』
とブログに書くのは、おかしい】
というお叱りのコメントを頂きました。
中国の春秋時代に活躍した孔子の残した<論語>は、中華圏の人々、また、世界中で読まれていて、彼の教えが、己の精神的、行動上の指針になると考える人々によって、実践されています。
これらの人々の中で、直接孔子に会った事のある人が、どれくらい、いるでしょうか・・・(輪廻を前提で言うと、多少はいるものと考えられます)。
さて、私は、ゴータマ仏陀と会った事が、あるかないか?
私自身は思い出せ無いのですが、パオ僧院本山にて、サマタ・vipassanā の修行の全過程を終え、現在、世界中を飛び回って、パオ・メソッドを教えていられる
某Sayalay 曰く、
【2600年前、私の兄が、ゴータマ仏陀と友達で、私と貴女(ブログ主)は、仏陀のもとで、共に学び、共に修行した仲間です】
私自身も過去生を、多少思い出す事はできますが、直近のものになります・・・まだまだ禅定の力が足りない為でしょう。(過去生を思い出すには、縁摂受智か、神通があれば、OKです・・・神通より、縁摂受智の方が、より細かく、因と縁の詳細を思い出す事ができる為、パオ森林僧院では、縁摂受智をお勧めしている次第。)
孔子の例にも述べました様に、先人の尊い教えを学び、実践するのに、本人に会った事があるかどうかなど、全く無意味な発想です。
宗教・思想・哲学系では、ご理解できない様なので、もう少し簡単な例を挙げておきましょう。
お医者様が、患者を診察して、治療法を決める時、医師も患者も、その治療法を発明した人物と会った事がなくても、よいのです。
あなたは、癌治療において、レーザー光治療を施す医師に、
『あなたは、レーザー光治療法を発明した人間に、会った事があるか?』
『無いなら、私は治療を受けない』
『私は、レーザー光治療法の発明者と会った事がないので、治療を受けない』
といいます?
レーザー光治療法が、自分の癌治療に有効なら、治療を受ける。効果がないなら治療を受けない。
それだけの事です。
温情によって、今回は、当該のコメントとハンドル名を公開しませんが、以後、何を投稿されても、梵罰(ブラフマダンダ)になります。悪しからず。
追伸:コメント投稿者様は、推察するに、大乗仏教だの、テーラワーダだの、スピリチャルだの、忙しく飛び回っている様ですが、仏教&仏教徒を批判する時は、《箭喩経》くらい、読んでおいた方が、恥をかかなくて済みますよ。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Pañña-adhika Sayalay 般若精舎>