翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-13)
あなたが TV を見る時、眼識は、耳識に飛んで、(耳識が眼識に)なる事はない。
TV を、耳識が見る、という事にはならない;
耳識が鼻識に飛んで、鼻識が(音を)嗅ぐ、という事はない;
鼻識が舌識に飛んで、舌識が(匂いを)味わう、という事はない;
この様な法は、存在しない。
一切は、みな、因・縁和合の法であり、因と縁のある時、果は存在する;
因と縁が滅すれば、果も滅するのであって、一つの処から、もう一つの処へ、飛ぶ事はない。
仏陀は彼に、因縁の法の全体を解説し、また、眼識、鼻識、耳識の生起を促す所の、因の説明をした。
故に、心識は、一個の自我などではなく、一個の我などなく、ただ、因と縁に従って生・滅しているだけであって、因縁に合わせて名を得ているのである(という事が分かる)。
心の定義は、純粋な、ただ識知の過程であるだけであって、それは、ただ、純粋な活動に過ぎず、(この定義は)一般の凡夫が持っている所の「我見」(我有りという見解)を対治するものである。
(3-14につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>