<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《煩悩輪転の三》
1、涅槃を証悟する事の出来る「比丘」が、存在していると錯覚するのは、無明である。
2、涅槃を証悟する事のできる比丘の生活を、渇愛するのは、愛である。
3、涅槃を証悟する事の出来る比丘の生活に、執取・執着するのは、取である。
これらの無明、愛、取は、煩悩輪転と言う。
それらは、それら三個だけで生起するという能力は持ち合わせておらず、必ず、相応する心と心所(たとえば、触、受、想、思、識等々)と共に、同時に生起する。
それらの多くは、貪見グループの、20個の名法である(もし、喜が無いならば、ただ 19個の名法となる)。
それはまた、有行または無行(sasaṅkhārika または asaṅkhārika)であり得る。
心路過程に基づいて、それらの多くは、意門転向及び、七個の速行において出現する。
彼所縁は、生起する事もあれば、生起しない事もある。
もし、人が、己が願望した結果、なり得た所の、比丘の名色法に執着するならば、彼所縁は、生起する。
それは以下の様に出現する:
1、意門転向:12個の名法がある(心と心所)。
2、一つひとつの速行心:多くは、20個の名法(貪見グループ)。
3、もし、彼所縁が生起したならば:12個の名法(喜俱の場合)。
これらの名法の中において:
1、受は受蘊である。
2、想は想蘊である。
3、その他の心所は、行蘊である。
4、識は識蘊である。
こうしたことから、これらの名法は、四個の名蘊がある事になる。
(これらの名法が依存する所の)心所依処、及び意門の中の、54の色法は色蘊である(非真実色法は、この中に含まれる)。
これらを連結したならば、以下の様になる:
1、意門転向において、五蘊がある。
2、一つひとつの速行心に五蘊がある。
3、一つひとつの彼所縁にも、五蘊がある。
註:各々の状況によって、彼所縁は大果報彼所縁、または無因不善果報彼所縁、または無因善果報彼所縁であったりする。
それらは、各々、34-33 等々として生起する。
ここでは、喜俱推度彼所縁のみ、言及した。
過去の因の中の、無明、愛、取(すなわち、行と業を取り囲む煩悩輪転)を識別する時、禅修行者は、究極法を知見するまで、これら五蘊を識別し、名と色の密集(ghana)を、看破しなければならない。
諸々の智の次第によると、(+上に述べた)これらは、名色分別智である(nāmarūpa-paricchedañāṇa)。
(9-21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>