南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-37)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

観(法随観ーー五取蘊)

故に、仏陀は《大念処経・法随観》の中において、この種の観智を教え、教導した。

【次に、比丘たちよ。

比丘は五取蘊に対して、法随観法において住する。

比丘たちよ。

比丘は、どの様にして、五取蘊に対して、法随観法において住するのか?

比丘たちよ。

ここにおいて、比丘は[了知する]:

1)’これは色である、これは色の集である、これは色の滅である;

2)これは受である、これは受の集である、これは受の滅である;

3)これは想である、これは想の集である、これは想の滅である;

4)これは行である、これは行の集である、これは行の滅である;

5)これは識である、これは識の集である、これは識の滅である。’

この様にして、或いは、内において法随観法に住し、

あるいは、外において法随観法に住し、

あるいは、内と外において法随観法に住し、

あるいは、法随観における生起する法において住し、

あるいは、法随観における滅し去る法において住し、

あるいは、法随観における生起する法、滅し去る法において住する。

彼が ’有法(=法がある)’ という念を現起(現象)させるのは、ただ智と憶念のレベルにおいてである。

彼は依する所なく住し、また、世間の一切に執着しない。

比丘たちよ。

比丘は、五取蘊に対して、法随観法において、住する。】

比丘は、”内、外” において法随観法するということは、五蘊の過去、現在、未来、内、外、粗さ、微細、劣等、優秀、遠い、近いを観照することであり、また、”これは色、これは受、これは想、これは行、これは識”と了知する事でもある。

この種の了知は、苦聖諦の認知と理解に相当する。

仏陀が比丘に ”法随観法の生起、壊滅において” と言う時、それはすなわち、比丘が五蘊の ”生起” と ”滅没” の随観を修習する事を指しているのである。

(3-38につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>