『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-36)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
まさに仏陀が《蘊相応・定經》(Samādhi Sutta)において、非常にはっきりと、強調している様に:
”比丘たちよ。
定の修習をするべきである(samādhṃ、bhikkhave、bhāvetha!)
比丘たちよ。
定力のある比丘は、如実に知ることができる(samāhito、bhikhave、bhikkhu yathābhutaṃ pajānāti)。
何を如実に知るのか?
色の集と色の滅、受の集と受の滅、想の集と想の滅、行の集と行の滅、識の集と識の滅である。”
定の修習について、仏陀は、近行定または安止定を上げている。
これがまさに、止の修習(samathabhāvanā)であり、また、比丘の定蘊であるとも、言える。
それは観の修習において(+観の修習を)支援する所の、定力の基礎になるが故に、(+その基礎の助けを借りて)五蘊とその生起及び滅没を照見するのである。
上述の、仏陀の《縁由經》において、強調されているのは、禅の修行者が、すでに、色身と名身の二者に対する観智を育成しているのでない限り、修行者は覚悟(=覚醒、悟り)を得ることなど有りない、という事である!
(3-37につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>