<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
<注20>《増支部・修定經》(Samādhibhāvanā Sutta)の中においても、類似した教えが登場する。
仏陀は以下の様に述べている:
”比丘たちよ。
この定の修習は、多く修習すれば、諸々の漏の滅尽へと導く事ができる(āsavānaṃ khayāya saṃvattati)。”
《相応部・基瓦マンゴー林定經》(Jīvakambavanasamādhi Sutta)では、仏陀は、同じ様に述べている:
”比丘たちよ。
定の修習をするべきである。
比丘たちよ。
定力のある比丘は、如実に(+物事への理解が)明確になる(Samāhitassa、bhikkhave、bhikkhuno yathābhūtaṃ okkhāyati)。
何が、如実に明確になるのか?
眼の無常が、如実に明確になる(cakkhuṃ aniccan'ti yathābhūtaṃ okkhāyati)。
色の無常が、如実に明確になる。
眼識の無常が如実に明確になる。
眼の触の無常が如実に明確になる。
どの様な、眼触を縁として生じた楽受、苦受または不苦不楽受も、またその無常も、如実に明確になる。”
仏陀は、引き続き解説して言う:
定力によって、耳、鼻、舌、身体、意及びそれらと相応する所縁、相応する識、触、所縁によって生じる受の無常もまた、如実に明確になるのである。
(3-35-bにつづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>