<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
14.3 苦滅聖諦
同様に、仏陀は三種類の方法でもって、以下の様に、集諦を教導する:
「次に、比丘たちよ。
私が『これは苦滅聖諦である』と思惟した時
ーーこれはいままで聞いた事のない法であり、私の心中には目(徹底した見)が生起し、智が生起し、慧が生起し、明が生起し、光が生起した。」
これは諦智である。
その意味はすなわち、仏陀はこの滅諦を了知したのである
ーー苦の滅尽である。
仏陀は、どの様にして苦を滅するのであるか?
彼が観禅の修行をする時、彼の観智は、すべての苦諦法(五取蘊)と集諦法(12縁起支)は、無常・苦・無我であると了知したのである。
この様に、観禅の修行が終点に到達した時、彼は涅槃を証悟した。
涅槃を証悟する時、彼は、五取蘊と12縁起支の、無余に滅尽するのを照見したのである。
仏陀は引き続き開示して言う:
「比丘たちよ。
私が『この苦滅聖諦は証悟されなくてはならない』と思惟する時
ーそれはいままで聞いた事のない法であり、私の心中には、目(徹底した見)が生起し、智が生起し、慧が生起し、明が生起し、光が生起した。」
これは作智
ーーなすべき事柄を了知する智慧である。
あなたが観禅の修行をする時、涅槃(滅諦)の証悟について、尽力するべきである。
次に仏陀は、已作智を開示して言う:
「比丘たちよ。
私が『この苦滅聖諦は、すでに証悟された』と思惟する時
ーそれはいままで聞いた事のない法であり、私の心中には、目(徹底した見)が生起し、智が生起し、慧が生起し、明が生起し、光が生起した。」
これは已作智
ーーなすべき事柄をなし終えたと、了知する智慧である。
仏陀は何を成し終えたのであろうか?
彼はすでに、涅槃を証悟したのである;
彼は、己自身が、すでに涅槃を証悟した事を了知した。
あなたが観禅を修行して、涅槃を証悟した時にもまた、己自身がすでに涅槃を証悟したことを了知するであろう。
14.4 苦の滅に到る道聖諦
その後に、仏陀は三種類の方式を用いて、道諦を説明する:
「次に、比丘たちよ。
『これは、苦の滅に到る道聖諦である』と思惟する時
ーーそれはいままで聞いた事のない法であり、私の心中には、目(徹底した見)が生起し、智が生起し、慧が生起し、明が生起し、光が生起した。」
仏陀が証悟した時、彼は八聖道分は、苦の滅に到る修行方式であるか、または道路であることを了知した。
同様に、あなたが観禅の修行をする時、八聖道分は、苦の滅に到る修行方式であるかまたは道路である事を了知する事に努力しなければならない;
これは、諦智である。
又続いて、仏陀は作智に関しての開示をする:
「比丘たちよ。
私が『この苦の滅に到る道聖諦は、修行されなくてはならない』と思惟する時
ーーそれはいままで聞いた事のない法であり、私の心中には、目(徹底した見)が生起し、智が生起し、慧が生起し、明が生起し、光が生起した。」
観禅の修行をする時、あなたは八聖道分の修行をしなければならない;
これは苦の滅の道である。
私は少し解説を加えたいと思う:
観禅の修行をする時、あなたは、先に、五取蘊(苦諦)を了知しなければならない;
次に、苦の因(集諦)もまた了知しなければならない、特に縁起支を。
これらの苦諦法と集諦法は、行法と呼ばれる。
それらは生起するや否や、即刻壊滅するが故に、無常である。
それらは、不断に生・滅の圧迫を受けているが故に、苦である。
それらの中には、安定的な自我(=私)が存在しておらず、故に無我である。
この様に修行をするのを、観禅と言う。
その時、これら行法の無常・苦・無我の三相を透視するのは正見である;行法の三相に心を投入するのは、正思惟である;
行法の三相を透視する為に努力するのは正精進である;
行法の三相を明記して忘れないのは、正念である;
行法の三相に専注するのは正定である。
この様に、合計五項の聖道分がある。
壊滅随観智の修行に到る時、あなたは、所知(ñāta=知られるもの)と能知(ñāṇa、知る者)が共に、無常・苦・無我である事を観照しなければならない。
所知とは五取蘊または行法の事であり;
能知は、観智の事である。
観智は心路過程の形態で生起するが、この心路過程の中において、一個の意門転向心及び七個の速行心が存在する。
意門転向心刹那の中において、12個の名法があり、一つひとつの速行心刹那の中においては、通常、34個の名法がある。
この34個の名法の中で、上に述べた五項の聖道分は、最も顕著な名法である。
あなたは、この能知の観智もまた無常・苦・無我であることを観照しなければならない。
その時、あなたは、この五項の聖道分を容易に照見できるが、それらこそが、苦の滅に到る道である、というのも、その時、あなたはすでに、生・滅随観智を通して、「五種類の因が無余に滅尽するが故に、五蘊もまた無余に滅尽する」ことを明確に了知したが故に。
八聖道分には、八個の道分がある。
ここまでに、私は、五個の道分に関しての解説をした。
観禅の修行をする前、あなたはすでに、先に、別解脱戒または10戒、9戒、8戒、五戒を守っているかと思われるが、それには正語、正業と正命の、三種類の聖道分が含まれる。
正語、正業と正命もまた、心路過程の形態でもって、相応する名法と共に生起する、故に、あなたはそれらを無常・苦・無我として観照しなければならない。
合計八項の聖道分があるが、これらは、あなたが必ずや修学しなければならないものである。
観禅の末端において、あなたが涅槃を証悟する時、八聖道分は同時に存在するが、あなたはそれらを了知しなければならない。
どの様にして了知するのか?
あなたは、まず、果定智(phala-samāpatti-ñāṇa)でもって、涅槃を了知しなければならない、出定の後、果定における名法を検査する。
もし、あなたが一心に何度も練習するならば、果定の中の名法を見ることができる;
もし、あなたが欲界法または初禅法を無常・苦・無我でると観照する時に涅槃を証悟したのであれば、あなたの道智と果智の中には、それぞれ、37個の名法がある。
この37個の名法の中に、八項の聖道分はすべて含まれる。
しかしながら、もし、あなたが第二禅法を無常・苦・無我として観照する時に涅槃を証悟したならば、あなたの道智と果智の中には、それぞれ、36個の名法があることになる。
この36個の名法の中には、七項の聖道分が含まれる、というのも、正思惟という、この項の聖道分が含まれないが故に。
仏陀は続いて、已作智について開示する:
「比丘たちよ。
私が『この苦の滅に到る道聖諦は、修行されなくてはならない』と思惟する時
ーーそれはいままで聞いた事のない法であり、私の心中には、目(徹底した見)が生起し、智が生起し、慧が生起し、明が生起し、光が生起した。」
こうしたことから、あなたもまた、己自身がすでに八聖道分を修行した事を照見しなければならない。
もし、八聖道分を照見することができないのであれば、あなたはすでに未涅槃を証悟したとは言えない。
二種類の八聖道分がある:
世間的と出世間的八聖道分である。
もし、聖果を証悟したいのであれば、それがソータパナであろうと、サターガミ、アナーガミまたは阿羅漢であろうとも、この二種類の八聖道分は、みな、あなたによって修行されなければならない。
この様に、四諦の一つひとつの諦の中には、それぞれ、諦智、作智及び已作智という、三種類の智慧があり、合計で、12種類の智慧があることになる。
(6-58につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>