Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(108-1/2/3/4)(私家版)

✥性格✥性格は合計6種ある: …………      1.貪行者。2.瞋行者。3.痴行者。4.信行者。5.知識行者(覚行者)。6.散漫行者(尋行者)。。

「性格」又は「習性」は、個人の本性を指して言う。個人の自然的な態度と行為によって現れた性格の事。過去世になされた業が異なる為、人の性格も又それぞれ異なる。性格はどの様にして作られるのか?6種の色塵が、色根を衝撃する毎に、毎回の反応が貪であるならば、久しくして、貪行者の性格が育成されてしまう。これは、長い長い輪廻の中において蓄積されたものである。一回毎の反応が皆瞋である時、徐々に瞋行者の性格が育成される。もし我々が、毎回それを無常、苦、無我として観ずるならば、知識行者になる事ができる。これを習性と言う。。。。        6種の性格の内、貪行と信行者は、同等の一対である。というのも、この二者は、目標に対して好感を持つからである。貪は、どの様な目標に対しても好感を持ち、信は何にでも信じてしまう。共に好感を保持している為、二者は一対であると言う。同様に、瞋行と知識行者は、同等の一対である。というのも、瞋は、不善の方式で目標を嫌悪し離れ、知識は、真実の過患を発見する事を通して、目標から遠く離れるが故に。我々が、一切の法は、無常であると見るとき、一切法は、皆過患である事を知り、故にそれから厭離する。痴行と散漫行は、同等の一対である。というのも、痴行者は、配慮が浅く惑う為、散漫行者は、憶測ばかりして同じく惑うからである。。  40種の止禅業処の中で、どの行者が、どの業処を修するのが良いか?業処を選択する時、これを考えるのは非常に重要な事である。まず、己はどの性格であるか研究する。基本的には(一人の人間の中に)全て(の性格が)含まれるが、しかし、その中の一つが、特別に強烈であるなら、我々は、それを己の性格と認める。性格は、おしやぺりや、食事とも関係がある。一人の人間が、喋り方が非常に速い時、通常は、瞋と覚行者共に含むと考えられる。彼は智慧が非常に速い為に、のんびりしていられず、他人がのんびりしていると、容易に瞋を起こす。今、40業処と性格の関係性を見てみよう。。。。          10遍(10個の遍処)            第5禅(安止定)に到達てきる。この6種の行者全員に適合するのは、地、水、火、風遍。瞋行者は、青色、黄色、赤色、白遍が適合する。光明遍と虚空遍は全ての行者に適合する。。。           10不浄(死体の腐乱を観察する)は、貪行者に適合する。。。          10念の中の仏随念、法随念、僧随念、戒随念、捨随念、天随念の6は、信行者に適合する。死随念は難しいが、覚行者に適合する(智慧のレベルが高い人)。寂止随念は、涅槃を観ずるもので、智慧のレベルが高い覚行者に適合する。身至念(32身体部分の観察)は、貪行者に適合する。安般念は、痴行者、尋行者(散漫行者)に適合する。。。                四無量心は瞋行者に適合する。我々がもし、瞋が非常に強い事を発見したならば、日常生活の中において、慈・悲・喜・捨を多く修するのが良い。   四無色定は全ての行者に適合する。食厭想は覚行者に適合する。四界分別観は、究極法を観察するもので、覚行者に適合する。