Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(108-5)(私家版)

修行の道において、もし、法門を選び間違えたならば、非常に時間がかかる事になる。仏陀の時代、ある人がシーャリプトラ尊者の下で出家した。尊者が神通力て彼の過去世を見ると、彼は500世において、錬金術士であった。金は非常に美しいものであるから、尊者は彼を貪行者とみなし、不浄観を修行して、貪愛を退治する様に指導した。この弟子は雨季の3ヶ月の間、何らの成果もなかったので、傷心して還俗しようと思った。。。             尊者は彼を仏陀の所へ連れて行った。仏陀は尊者に言った:「安心したまえ。彼は今夕にも阿羅漢を証するであろう。」     仏陀は、彼が金を好きな事を知って、それは美しい所縁が好きな事を意味した。不浄観は彼には相応しくないのである。故に、仏陀は彼に赤遍を修行させた。美しい蓮の花を作り、その赤い色を所縁として修行した所、彼はいきなり四禅に入ったのである。。。                 仏陀は蓮の花を枯らしてみせた。彼は蓮の花がいきなり枯れたのを見て、強烈な無常感が生起した。過去世の観智が再び出現したので、仏陀は彼に引き継き観ずる様にと言った。結果、彼は夕方には阿羅漢を証したのである。。。。          この事から、己に相応する法門を選ぶのは非常に重要である事が分かる。。。    しかし、どの法門が、己と適合するのであろうか?仏陀の時代、智慧第一であったシャーリプトラ尊者でさえも弟子に不都合な法門を与えてのであるから、現代の教師が、あなたに適合する法門を与えてくれると期待してはならない。世界で、仏陀以外に、あなたにどの様な法門が適合するかを知る人はいない。しかし、仏陀はすでに涅槃に入られた。故に、唯一の方法は、先生が教えた法門で何ヶ月か修行してみて、進歩がないなら法門を変えてみる。最後には、己に適合する所の法門に出会うであろう。何をもって比較的相応する、と言うのであるか?修行してみて比較的安楽なもの、比較的リラックスできるもの、比較的入定し易いもの。安般念に執着しない事。安般念は誰にも適合する訳ではない。