パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-28
もし(+修行者が)、村落から遠く離れることがなければ、安般念の法門を成就する事は、非常に難しい。
というのも、禅定(=サマーディ)から言えば、音とは、鋭い棘のようなものであるから。反対に、村落以外の場所でならば、禅の修行者は、非常に容易に禅の修行の法門を掌握できる。
そのため、世尊は、禅の修行に適切な場所を指摘して、以下のように言った:「森林、木の下または静かな場所に、行きなさい。」
一人の、建物を建てる敷地を選ぶことに優れている建築家は、町を建設するのに適切な場所を見つけたならば、色々な方面から、詳細に考慮して、彼は言う:「ここに町を造ろう。」
町が完成した後、彼は高貴な立場の人々から、称賛される。
同様に、仏陀は、禅の修行者に適合する場所を、色々な方面から、詳細に考慮して、彼は言う:「ここで、この業処の修行をしよう。」
禅の修行者が、段階を追って(+修行して)、阿羅漢果を証悟した後、彼は以下のような言葉をもって仏陀に感謝し、讃嘆する:「世尊は確実に、無上の正覚者である。」
このように、世尊は高度の尊敬を受ける。
比丘は、一頭の豹のようである;
豹のように、比丘は一人で森林に住み、貪愛などの障礙を克服し、目標を達成する。
まさに、一頭の豹の王が、森林、叢、灌木の林または山林の中にいて、水牛、じゃこう鹿、イノシシやその他の野獣を捉えるように、比丘は禅の修行に精進し、一歩一歩進んで、四道と四果を証悟する。
故に、古代の論師は言う:
まさに豹が山林に隠れ伏して、
野獣を捉えるように、
正覚者の子もまた、洞察が鋭敏で、
山林に分け入り、修行に精進し、
そこにおいて聖果を証悟するが、
(+それゆえに)殊勝で至上
(+な存在)である。
現在、みなさんが住んでいる所は森林ではないし、木の下でもなく、また多くの、禅の修行者と一緒にいるけれども、しかし、あなたが他人の存在を気にせず、万縁のすべてを放下して、ただ己の禅の修行の目標をのみ覚知するならば、ここはあなたにとって静かな場所となる。
その上、大勢の修行者が共に修行する事は、精進心を刺激しあうことでもあり、そのゆえに(+この場での修行は)、更に早く進むことができるであろう。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-29につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>