このような悪い習慣を克服する為に、彼は散乱する心を不断に引き戻し、なるべく長く呼吸に専注するように努力して、呼吸に専注する新しい習慣を育成しなければならない。
これはちょうど牛の放牧者が、野生の母牛の母乳を飲んで成長した野生の子牛を調教する時と同じ方法である。
彼は子牛を母牛から引き離し、深く穴に埋め込んだ一本の杭に結び付ける。子牛は飛んだり跳ねたりして、逃げ出そうとする。しかし、子牛は逃げ出す方はないと知った時、その杭に沿って、跪くか横になるかする。
同様に、禅の修行者は、長い時間、音や物質などの目標に沈潜してきた、調伏しがたい心を訓練する(+のであるから)、彼は、心を音や物質などの目標から引き離し、森林に入り、木の下または静かな場所に行き、正念の縄でもって、心をして呼吸という念処の目標に縛り付けるのである。
彼の心は、飛んだり跳ねたりするが、それ(=心)が、長い間習慣になっている目標を取ることができない時、かつ、正念の縄から逃れる事ができない事を発見した時、最終的には、それは、その目標に依って、近行定または安止定のうちに、座るようになるか、横たわるようになる。
古代の論師は言う:
野生の子牛を調伏したいと思う人は、
子牛をば、深く埋め込んだ木の杭に
結わえ付ける。
同様に、禅の修行者は、己の心を、
しっかりと、その禅の修行の目標に、
縛り付ける。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-28につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>