南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-21

8-5-5 二種類の禅定

二種類の禅定がある:近行定と安止定である。

安止定は、心が持続的に、不断に、目標、たとえば、安般念似相に、完全に沈入するものである。この時、当該の(禅修の)目標を覚知する心の合間に、有分心が生起することはない。

禅支はすでに、強くて、心をして、不断に目標につなぎとめておくことができる。

近行定では、心が目標に沈入する時間はますます長くなるけれども、いまだ、ある時には、心は有分心が生じて、(+集中が)途絶えてしまうことがある。

この段階では、五禅支の強度が足りないために、心は干渉を受けないで、(目標の中に)安止することができないのである。

8-5-6 転輪聖王の胎児

疏鈔では、比喩をもって、このことを解説している:

たとえば、一人の王妃が、将来転輪聖王になることができる胎児を身ごもったとする。

彼女は時々刻々、肉眼で己の子宮内の胎児を見ることができる。その時、彼女は、この胎児が出産前に死なないように、非常に慎重に、恭しく保護する。同様に、禅修行者は、非常に慎重に、恭しい心でもって、己の禅相を守らなければならない。怠惰な心、気の抜けた心、また健忘の心は、人をして、高度の修行の成就に導かせることは、ない。

故に、彼は、熱意、正知と正念を保持し、歩くときにも、立ち止まるときにも、座るときにも、横になるときにも、禅相に専注しなければならない。

たとえば、経行(行禅、歩く瞑想)の時、彼、まずは、経行処の起点に立って、呼吸に専注しなければならない。禅相と呼吸が結合して、かつ、彼の心が自動的に禅相に専注する時、彼は一心に禅相に専注する。専注した結果、定力が非常に強くなった時、(+修行者は)初めて、足を上げて歩き始める。歩くときは、引き続き、一心に禅相に専注する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-22につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文 Pañña-adhika Sayalay>