Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-55)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

四念処=五蘊=一切

では、四念処とは何か?

それらは、念を建立せしめる所の、四種類の観照(注26)の対象である:

身(kāya)、

受(vedanā)、

心(citta)、

法(dhamma)。

我々はすでに、四念処が vipassanā行であることに触れたが、それはまた、五蘊でもある:(注27)

1)身随観身は、色蘊の随観に相当する;

2)受随観受は、受蘊の随観に相当する;

3)心随観心は、識蘊の随観に相当する;

4)法随観の中の、五蓋と七覚支は、想蘊と行蘊の随観に相当し:

法随観の中の五蘊、12処、四聖諦は、すべての五蘊を随観することに、相当する。

この様に理解すれば、五蘊を遍知する事、その因を断じ除く事、その滅を証悟とその滅に向かう為の(+心の育成の)修行とは、すなわち、四念処である事が分かる。

言い換えれば、四念処の修習とはすなわち、五蘊を遍知することであり、その因を断じ除き、その滅を証悟することと、その滅に向かう為の育成をする修行なのである。

そして、vipassanā行 とはすなわち、すべての五蘊、12処、身・心の二者、および四種類の念処のすべてなのである。

《六処相応・第一不遍知經》(Paṭhamaaparijayaṃ Sutta)の中において、仏陀は非常に明確に、三種類の遍知を通して一切を知る事を完成させなければならない、と述べている:(注28)

”Sabbaṃ、bhikkhave、anabhijānaṃ aparijānaṃ avirājānaṃ appajahaṃ abhabbo 

dukkhakkhayāya. ”

”比丘たちよ。

一切に関して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅することはできない。”

(3-56につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>