Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~クリスマスローズ満開

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上の写真は、般若精舎の庭に咲いた クリスマスローズ です。

このあたりは、土質、天候とも クリスマスローズ に合うらしく、園芸下手な私でも、こんなに立派に咲かせることができました。

花の数えてみると、現時点で60朶以上ありますし、小さな蕾も続けて上がっていますから、最終的には100朶くらいになりそうです。

今日は、久々に大変気分がいいです。

首より上に上って悪さをしていた<氣>が大分、下丹田に集まってきている感触があり、もうひと頑張りかな、という思いです。

「揺り戻しがあるので要注意」と、ヒーラー先生には、釘を刺されています。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~謙虚に生きる

今、私の禅病を治すのを指導して下さっているヒーラー先生に

「人間、謙虚でなくてはいけない」

「この社会の中で、自分が一番ものを知らない、と自覚して、腰を低くする事」

「論争してはいけない。皆、自分が一番正しいと思っているのだから論争しても切りがなく、論争して誰が勝っても、誰が敗けても、争いは続き、誰も幸せにならない」

「自分の成すべきことを黙って、こつこつなしなさい」

と言われました。

私は、中国語の仏教書(南伝系)を30冊ほど日本語に翻訳し、また緬甸に行って多少の修行もしましたが、それで世界の真実、世界の複雑さを理解したなどと言えば笑止のさたでしょう。

また、先生はこうも言います

「修行しました、はい、悟りました、などというのは絶対にない。」

「今世で悟りを約束されている人間は、そもそも器が違うから」

人間存在の基本に立ち戻って、禅病の治癒に取り組んでいる私にとって、身につまされる先生のお言葉でした。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

般若の独り言~災い転じて

昨日、知人から電話がありまして

『ブログを見る限り、調子良さそうですね』

と言われました。

いえいえ、禅病は一進一退です。

23日、とても気分が悪くなって、ヒーラー先生に電話して、24日朝から、先生の道場で瞑想させて頂き、また

<手当て>もして頂きまして、このブログを書いている

25日現在は、大分落ち着きました。

禅病の症状、その 《気持ちの悪さ》、その一つ一つを

ここに書くことはできません。

《禅病が患者に齎す気持ちの悪さ》

は、病者本人と、ヒーラー先生しか理解できないと思います・・・ただ、あえてここに、普通の人でも理解して頂けそうなレベルの事柄を選んで書き連ねますのは、万一、将来、禅病になる人がいたら、多少とも、参考にして頂きたいからです。

盛鶴延著 

『気功革命 秘伝奥義 集大成』(P17)に

【気功初級者】自分で自分の気を感じることの出来る人。

【中級者】自分の内面に気の動くのを感じ取れる人。気をコントロールできる人。

【上級者】自分の気も、他人の気も、気が付いて、コントロールでき、治療が出来る段階。

とあります。

私は、自分の内面に気の動くのを感じ取れるものの、コントロールできず、圧倒されている状態。

長い修行生活(主に安般念)の内に、しらずしらずに、首より上に溜まってしまった<氣>を、まずは下丹田に降ろす事、その後にコントロール術をマスターすれば(=小周天、または大周天が出来る)、降って湧いた様な今回の災難も、

【災い転じて福となす】

ことができると思います。

ヒーラー先生の教えに従って、まずは「意守丹田」。

基から修行です。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

般若の独り言~気長に治す

3月初めごろ、なんだか変だなぁ、身体(=頭頂部)がフワフワするなぁ・・・・・・と感じ、

「これはもしからした体内で、<氣>が動いているの?」

「禅病?」

と思い、非常に不安になりました。

まず、誰に相談してよいか分からない。

普通の内科、外科には、絶対に行けない。

心療内科だって、理解してもらえるとは思えない。

気功師かヒーラー、スピルチャル系でない、良心的な霊的治療者・・・そんな人がみつかるだろうか。

でも、いたのですね。

とても近くに。

我が精舎から、車で20分の森の中に住むヒーラー先生に指導して頂いて、一か月が経ちました。

<氣>が悪さをして、嫌な現象は色々出てきますが、身体のフワフワ感は、なくなりました。

これから先、<氣>の流れを整えて、気功でいう所の、

小周天>か<大周天>が出来る様になればよいのではないか、と思っています(今はまだ<氣>の流れ方がでたらめです)。

ローマは一日にしてならず。

気長に、気長に。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~ブログはボチボチ

禅病を治すべく、努力、努力の毎日です。。

体調はよい時もあれば、悪い時もあります。

ブログは休み休みになります。

皆様も 修行は正しい方法で、また、コロナにお気をつけて、身・心共に健康な毎日をお過ごし下さい。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

般若の独り言~神様からの贈り物

20年前、緬甸のパオ森林僧院で安般念を修行した時に得た禅病(<氣>の偏差による眼窩と頬の不快感)をそのままにして、修行を休み、仏教書の翻訳などに勤しんでおりましたが、台湾嘉義法雨道場で 

Ven. U Puññānanda sayadaw に再会して、正しい安般念を学び直したのを機に、2018年2月から安般念の修行を再開した所、2020年3月上旬、長年眼窩に溜まっていた<氣>が動き出し、頭頂部に<氣>の浮遊感を感じて入眠できない日が続き、状況は一変しました。

幸い、3月25日に、ヒーラーの先生(インドにて修行をされた方)を訪ねて 【意守丹田】  を教えて頂き、3週間目の現在、禅病は粛々と、快方へ向かっています(いつ完治するかは不明。先生からは『意守丹田で座りきる事』と指示あり)。

禅病は非常につらいです。

しかし、今回、ヒーラーの先生に教わった通り、【意守丹田】していると、

自分の病気を、受け身で、心を静かに観察する事は、大いに修行になる》と、思いました(身体は自分ではない、身体上に起こる現象は自分のものではい、という諦観が生まれる。重要なポイントは、どの様な状況にあっても、心が不動で静かで、観察者でありつづける事)。

特に、齢71の私にとって、遠くない日に死が訪れるであろう時、静かな心で死(にまつわる様々な身体現象)を受け入れる、その予行演習になったように思います。

良寛さん曰く:

「災難に遭う時は災難に遭うがよろし」

その災難とは、実は<神様からの贈り物>なのです。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~禅病その後の、その後の、その後

本日のブログ:

『禅病その後の、その後の、その後』

という題ではありますが、

《禅病のそもそも(注1)

について、書いてみます。

私が緬甸のパオ森林僧院で、瞑想中に異変を感じたのは、僧院で安般念の修行を始めて、一年半ほど経った頃です(2004年ごろと思います)。

座禅・瞑想を開始して一炷の始め、軽いサマーディに入ろうかという頃、眼窩すなわち目の中に、湿った綿を詰め込まれた様な違和感があり、また、両頬は、目頭から口元にかけて、鼻の左側と右側に、一本づつ熱した火箸をさしこまれている様に、強烈に痛い。

これは安般念の修行の時、私が心(意識)を人中に置かず、鼻の中へ、鼻の中へと入れてしまったのが原因で、

<氣>が眼窩、頭頂部へ向かって上昇し、鼻の両脇、眼窩などに溜まった為と思われます(妄想しない為に、早目に息を迎えに行く様な感じで、心が人中から離れて鼻の中へと向かっていた、勿論無意識に、ですが)。

当時は、私には、この原理、副作用の事が分かりませんでした。

当時の瞑想指導担当のA尊者に、

「瞑想すると顔が痛い」と訴えても

「禅定に入れば平気になる、大丈夫だ」

というばかりで、

瞑想すると顔が痛くて修行が続けられないという事実に、正面から向き合ってくれることはありませんでした。

そしてようやく、2年前(2018年)に、台湾の法雨道場にて Ven. U Puññānanda 尊者にお会いして、

心(意識)が人中から離れたまま、安般念を続けていいると禅病になる事】

を教わったのです(それまですでに15,6年の歳月が過ぎていました)。

座禅・瞑想して顔が痛い、頭が痛いという時、それを放っておいて、

<禅定に入りさえれば万事解決する>

という禅定万能論的教えは、間違っています。

それは例えば、大怪我で多量に出血している人間に

「禅定に入れば出血の事実を忘れられるから、常に禅定に入っていなさい」

と言っている様なものです。

これは、たとえ修行者が血を流しながら禅定に入れたとしても、やがて出血死してしまう、という事実を無視した教えです。

A尊者の指導通りに、顔の痛いのを我慢して、瞑想を続けていれば、その禅病は取り返しのつかない程の重症になった事でしょう。2年でやめて帰国したのは正解でした。

Ven. U Puññānanda 尊者の的を得た警告と、ヒーラーの先生のおかげで、私は禅病を治すことができて、近々、修行を再開する予定です。

お二方に感謝です。

注1:ここでいう禅病とは、間違った禅の修行方法によってもたらされる<気の偏差>と、それによって引き起こされる<副作用>をいいます。

禅病は他に、幻想、幻視、幻聴など各種あるそうですが、ここでは取り上げません。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>