南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー70

我々は(《清浄道論》を読めば)、覚音(《清浄道論》の著者)も、

縁起とは、甚だ深いものだと、感じ入っている事が分かる。

縁起の核心について、研究を通して、究極的な成果を得る事が

できるか、知見を得る事ができるか、(《清浄道論》を読むと)

彼にも、確信はなかった事を、知ることができる。

当時、すでに何人かの古人による解釈があったので、彼もまた、

自分の好みに合わせて、縁起についての解説を、

行ったのであろう。

しかし、彼の行った解説は、三世輪廻を含んでいた・・・前世の

結生識が今世にまで続き、今世の結生識は、また来世に生まれ

変わる。

一たび三世輪廻の痕跡が見えると、後期の人々は、それを更に

強化し、重視し、顕著化して、発展させた。

このような、三世でもって縁起を解釈すると問題が発生する・・・

今世の煩悩、業ーー無明、行は、来世において異熟業を生じせ

しめる、という。という事は、今の世で造った業は、今の世で

その報を受ける事ができない。

言い換えれば、この期の生命の内に報を受ける事ができない・・・

業を造る人は、この期の生命の内に報を受ける事ができず、

報を受けるには、未来のどれかの世まで待たなければならない、

という事になる。

もし、覚音が使用した言語が、ちょうど私が前に述べたような

意味の<生>であれば、毎日、その場で、報を受ける事ができる。

完全に、完璧に「直接体験し、今・ここにおいて、成果を得る

ことができ、智者は、自ら体験し、証明する事ができる」のである。

前世の煩悩、業について、今世において、その報を受けるなど

という事は、不可能である!

そして、同じ人が三世(前世、今世、来世)にわたって存在する

と言えば、それは常見と辺見であり、仏陀が縁起を説いた目的ーー

常見と辺見の否定と排除ーーと離反してしまう。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)