所謂「行の増長」とは、縁起における<行>は、身、口、意
の作用を誘発し、それをして、更に強烈化、広範囲に及ぶよう
にするものである。
パーリ語でいう「行の増長」とは、美食を咀嚼している時、
行は迅速に増長し、かつ、新しい有と生を引き起こすーー
「我(我ありという意識)」「我」「我」・・・が継続して
大量に生起するが、これが「行の増長」である。
このように、「我」の問題は非常に多い。
生、老、病、死の他、色々な問題があるが、それらは皆
<苦>である。
故に仏陀は、最後に何度も以下のように言ったのである:
「比丘たちよ!生、老、病、死のある所、そこには憂心、
煩悩の問題がある」と。
生、老、病、死の問題が、かように人々の心を困惑させるのは、
人々が「我」に執着する事、すなわち、生、老、病、死を
「我所有(我がもの)」と思っているからである。
生、老、病、死等の問題は、どのような場所、どのような
事柄の上にも発生するものであって、仏陀は、そこには
愁、悲、苦、憂、悩が充満している、と言った。
ご馳走を咀嚼していて、まだそれを呑み込んでいない、
短時間の内に、数えきれない有と生が生じ、同時に、
そこには貪と喜が存在し、行を誘発し、一回分の縁起を
完成させるのである。(つづく)。
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)