経文の中で言われている「心における一境性への専注」は、実際には、一種の動的な状態を言う。
たとえば:我々が一丁の電燈を見る時、その光は安定しているように見えるため、我々は、それを静止しており、不変な状態にあるのだ、と認定する。
しかしながら、真実の実相は、それは動的な状態の中にある。
一丁の電燈の中からは、一秒ごとに、数えきれないほどの光子が発射されており、その速さがあまりにも速いために、我々は、それが静止して不変であると、錯覚するのである。
こういうことから、我々は、死んだような静寂の定を育成してはならない。「死んだような静寂の定」の根源は、悲哀、憂鬱、沈痛、無自覚、絶望の心から、来ている。
これらのネガティブな心理形態は、通常は老人の上に発見することができる。反対に、「調和のとれた安定」の根源は、好奇心にみちた、活発な、歓喜の、調和した、はつらつとした精神、気迫のある心である。
これらのポジティブな心理形態は、通常は、嬰児か子供の上に見られる。
故に、あなたが座禅・瞑想して定を修習する時、非常に重要なのは、あなたの心をして、自然にリラックスさせることである。
利益のある定は、徐々に訓練する必要がある。
順を追って練習した後、あなたの心がますます定を修する目標(たとえば、呼吸)を好ましく思うようになったとき、言い換えれば、一秒ごとに、更に多くの心識刹那が、呼吸と言う目標を縁に取るとき、あなたは、ますます多くの平静と平安を体験することができるのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-12につづく)
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>