Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-43

たとえ話をしよう。

今、私の手元には、一杯の水がある。

相対的なレベルで言うと、私は「私の手元に一杯の水がある」と言える。

しかしながら、究極のレベルで言えば、このコップの中には、ただ純粋に、水だけがあるのではなくて、水の中には、多くのミネラルがあり、その意味においては、この水は純粋・清らかではない。

水の分子は水の分子、ミネラルの分子はミネラルの分子であって、相互に異なっている。

しかし、水の中にミネラルが存在しているからといって、それを「一杯の水」と言ってはいけないのかどうか?現実の生活をする上で、我々は、それをそのように呼んでもよいと思われる。

それは、仏陀が、大モッガラーナ尊者の第四禅を、そのように呼んだのと同じことである。

現実の生活の上では、あまりに正確に、厳しく用語を詮索するのは、実際的ではない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-44につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>