注1=今のジュムナ河。ガンジス河の支流。注2=今のサラユ河。ガンジス河の支流。注3=今の West Rapti 河。ガンジス河の支流。注4=昔はマソ河とも言う。ガンジス河の支流。。。。
★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(44-6)(私家版)
“Yā manussesu sampatti, yā ca devesusa mpadā. Na sā sampannasīlassa, icchato hoti dullabhā.“ “人間界での幸福であっても、諸々の天界での幸福であっても、戒を具える者には願があるが、それは決して得難いものではない。“ “Accantasantā pana yā, ayam nibbānasampadā. Mano sampannaīlassa, tameva anudhāvati,“ “諸々の戒において成就した者は、その心は常に(戒に)追い従う。(それは)無上の涅槃の徳であり、又、究極の静寂の楽である。“ 《若希望経》においては、尚、非常に多くの持戒の功徳が説かれている。例えば、(己と)同じ梵行者に歓迎される等である。総じて戒徳は、世間と出世間において、全ての富・財産を齎すのである。。。
★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(44-5)(私家版)
“Sobhantevam na rājāno, muttāmanivibhūsitā. Yathā sobhanti yatino, sīlabhūsanabhūsitā.“ “国王は(その身体を)マニ珠で大いに飾ってはいるが、行者が戒で以て荘厳し、光り輝いているのを知らない。“ “Appakāpi katā kārā sīlavante mahapphalā. Hontīti sīlavā hoti pūjāsakkārabhājanam.“ “たとえ持戒者に小さな恩恵を与えたとしても、極めて大きな利益を得る事ができる。故に、持戒者には礼を尽くし、彼は尊敬され、敬奉され、護持・保護されなければならない。“ (既報の通り、パーリ語 d l m n t 等につくべき上下点は省略されています。)
★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(44-4)(私家版)
“Sīlagandhasamo gandho, kuto nāma bhavissati, Yo samam anuvāte ca, pativāte ca vāyati.“ “その様な良い香り、戒徳と同じ様な良い香りのするものは、(他に)ない。戒の香りは、風に乗って漂うだけでなく、逆風によって送り届けられる時がある。“ “Saggārohanasoānam, aññam sīlasamam kuto, Dvāram vā pana nibbāna, nagarassa pavesane.“ “どこに戒と同じくらい殊勝な、天へと続くはしごがあろうか?どこにこの戒より更に殊勝な涅槃の門があるだろうか?“
★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(44-3)(私家版)
“Na tam sajaladā vātā, na cāpi haricandanam. Neva hārā na manayo, na candakiranankari, Samayantīdha sattānam, parilanam surakkhitam. Yam sameti idam ariyam, sīlam accantasītalam.“ “たとえ雨をもたらす雲からの涼風であっても、金檀木であっても、涼やかな珍珠であっても、宝石であっても、明月が照らす柔らかな光であっても、煩悩の灼熱を減し、緩める事はできない。唯一、善く守られた戒のみが、熱く焼ける煩悩を究極的に清涼にする事ができる。 “
★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(44-2)(私家版)
“Na gangā yamunā cāpi, sarabhū vā sarasvatī, Ninnagā vāciravatī, mahū vāpi mahānadi. Sakkunnanti visodhetum, tam malam idha pāninam, Visodhayati sattānam, yam ve sīlajalam malam.“ “ガンガー河、ヤムナー河(注1)、サラブー河(注2)、サラワティー河、アチラワティー河(注4)、マヒ河(注3)、マハーナティ河、これらを以てしても、煩悩を清らかにする事は出来ない。唯一、戒水のみが、貪等の煩悩を洗い流す事ができるのである。“
★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(44-1)(私家版)
【持戒の功徳】 “Sāsane kalaputtānam, patitthā natthi yam vinā. Ānisamsaparicchedam, tassa sīlassa ko vade.“ 。。。。。。。。。。 “教法の中にある善男子は、実は、戒を除いて頼りとするものは、何もない。戒徳の量は、誰を以てしても語り尽くせない。“。。。。。。。。。。 この偈頌が言いたい事は即ち:唯一、戒だけが世間、出世間における一切の美徳の基幹であり、その功徳は無辺である、という事である。。。