仏陀は、《増支経》の中で、以下のように語っている:
「諸比丘、受到良好教育的聖弟子捨棄不善、培育善、
捨棄応受指責的、培育無可責的、守護自己的清浄。」
ここにおいて、已に良好な教育を受けている人がいて、多聞の人で
あり、仏陀によって、前述の五種類の武器を持つ戦士、と比喩される
人であっても、しかし、彼が(+法を)聞いた後で、経典に基づいて
実際に修行しないのであれば、彼はその武器を持たない(+ことになる)。
故に、仏陀は「阿難、弟子は、経、偈及び論の為に導師と共にいる、
という事はあってはならない」云々と言い、ただそれらの目的だけで
導師と共にいる事は、間違いである事を指摘している。
ここにおいて、心にどのような目的を懐いて導師を探し、共にいるべきか
という問題に関して、彼は言う:「ただ、貪欲を断じ消し去る事に関係
する言論の為」云々。このように、この経の中で三か所、小欲論、知足論
等の十種類の言論がなされた。適切であるか、適切でないかは「我当説
諸如此類的言論」の中でそれらを指摘している:耳で聞いて経典の学習を
する事に関しては、「経、偈及び論」の部分でそれらの事柄を指摘している。
ここでは、それらは、成就すべき事柄として述べている。
ここにおいて、独居する比丘の中で、経典の意味・真意を理解する事ができ
ない者がいるため、たとえ(+社群から)離れなさいと言われても、彼らは
やはり、導師を求め、導師と共にいる事を選ぶ。
ここにおいて、仏陀は、独居する比丘の欠点を指摘したのである。
しかし、導師と共にいても、良くない事は起こりえる。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」> (1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)