南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~4-23

行法の、無常・苦・無我の三相を照見する為に行う努力は、正精進である。

行法の、無常・苦・無我の三相を憶念して忘れないのは、正念である。

行法の、無常・苦・無我の三相に専注するのは、正定である。

このように、禅の修行者が観禅を修行する時、上述の五項の聖道分は、同時に存在する。正語、正業、正命という三項の聖道分は戒学に属する。

止禅と観禅を修行する前、あなたはまず先に戒を守らなければならない。すなわち、正語、正業と正命を具備しなければならない。

このように、合計で、8項の聖道分がある。

しかしながら、世間道で言うならば、戒学の三項の聖道分は、その他の5項の聖道分または観智と同時に生起する事はない。

その意味は、それらは同じ一つの心識刹那または一つの心路過程の中において、存在することはない、という事である。

観禅の修行が最後(+の段階)まで来て、禅の修行者が涅槃を証悟する時、8項の聖道分は、すべて彼の心中に存在するが、それは出世間の八聖道分である。

涅槃を知っているのは正見であり;

心を涅槃に投入する事は正思惟であり;

涅槃を知るために努力する事は、正精進である;

涅槃に対して明記して忘れない事は正念であり;

涅槃に専注するのは、正定である。

邪語、邪業及び邪命を為す可能性のある煩悩は、すべて道智によって破壊されたために、正語、正業及び正命もまた、道智と同時に存在する。

このように、禅の修行者が涅槃を証悟する時、八項の聖道分は同時に具足するのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-24につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>