行法の、無常・苦・無我の三相を照見する為に行う努力は、正精進である。
行法の、無常・苦・無我の三相を憶念して忘れないのは、正念である。
行法の、無常・苦・無我の三相に専注するのは、正定である。
このように、禅の修行者が観禅を修行する時、上述の五項の聖道分は、同時に存在する。正語、正業、正命という三項の聖道分は戒学に属する。
止禅と観禅を修行する前、あなたはまず先に戒を守らなければならない。すなわち、正語、正業と正命を具備しなければならない。
このように、合計で、8項の聖道分がある。
しかしながら、世間道で言うならば、戒学の三項の聖道分は、その他の5項の聖道分または観智と同時に生起する事はない。
その意味は、それらは同じ一つの心識刹那または一つの心路過程の中において、存在することはない、という事である。
観禅の修行が最後(+の段階)まで来て、禅の修行者が涅槃を証悟する時、8項の聖道分は、すべて彼の心中に存在するが、それは出世間の八聖道分である。
涅槃を知っているのは正見であり;
心を涅槃に投入する事は正思惟であり;
涅槃を知るために努力する事は、正精進である;
涅槃に対して明記して忘れない事は正念であり;
涅槃に専注するのは、正定である。
邪語、邪業及び邪命を為す可能性のある煩悩は、すべて道智によって破壊されたために、正語、正業及び正命もまた、道智と同時に存在する。
このように、禅の修行者が涅槃を証悟する時、八項の聖道分は同時に具足するのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-24につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>