Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-9)(私家版)

“Kappiyam tam ce chādeti, cīvaram idamatthitam, Alam phāsuvihārāya, pahitattasa bhikkhuno.“              “袈裟が如法に得たものであり、如律に身体に着用されたもので、寒さを避ける事に十分であるならば、心が涅槃に向いている比丘にとって、この袈裟は、安らいで、快適である。“

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-8)(私家版)

“Cattāro  pañca ālope, abhutvā udakam pive, Alam phāsuvihārāya, pahitattassa bhikkuno.“                   “ 実際に必要とするより、四口又は五口少なく食し、その後に水を飲む。心が涅槃に向う比丘にとっては、この様な生活は、十分に安らぎ、快適である。“

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-7)(私家版)

“Allam sukkham vā bhuñjanto, na bālham suhito siyā, Ūnūdam mitāhāro, sato bhikkhu paribbaje.“                    “美食であっても、粗食であっても、比丘は満腹になるまで、それを食してはならない。適量な食事に関して、常に省み、思惟しなければならない。“

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-6)(私家版)

上記の事から、比丘は、水を飲んで喉の乾きを癒やさなければならない事が分かる。お茶やコーヒー等の夜分薬 (を飲むの) ではない。。。。。              緬甸 (ミャンマー) の比丘には、夜分薬を飲用する習慣はなく、客僧は皆、水を飲むのである。。。。              ある種の比丘は、檳榔又は煙草を嗜む。煙草の煙を好むのは、癖になり、障がいになる。。。。                檳榔はどこにでもある為、檳榔を噛む習慣は、それほど悪害はない。しかし、居士達が常に煙草を供養するとは限らない為、比丘達は、(煙草は) 己自ら探し求めなければならない。煙草は癖になると止める事が出来ない。その為、彼らは非法な方式で以て、煙草への愛着を解決しようとする。   故に煙草の癖は、一人の優秀な比丘になるための、非常に大きなレベルの弊害となるのである。。。             心のコントロールとは即ち、雑染と貪欲を除去し、少欲知足等の、僧格又は品行を育成するものである。             学習や実践を通して得られる所の、比丘が必らず具えなければならない僧格又は品行は、心をして、コントロールを可能にせしめるものである。。。。                 名声と利益への渇望は、優秀な比丘にとって障害になる。一人の比丘が、もし、己の出家生命を円満にしたいのであれば、袈裟等、得られた所の、どの様な必需品であっても、それらに満足する習慣を確立しなければならない。。。。            シャーリプトラ大長老の教誡を学びかつ念称する事は、比丘にとって非常に有益である。。。。

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-5)(私家版)

現今の比丘達は、夜分薬を飲む習慣がある。古代の比丘には、この様な習慣はなく、冷たい水を飲んで、喉の乾きを癒やした。比丘の義務として、はっきりと説明されているのは、飲用水を準備しなければならない、と言う文言である。《律蔵・大品・大牜建度》の中の、“義務“の項目において、客僧に対して、水の代わりに、夜分薬を提供しなければならない、とは書かれていない。この事に関して、《律蔵》義注の中に明確な説明がある:   “pānīyena pucchantena sace sakim ānītam pānīīyam sabbam pivati, ‘puna ānemī‘  ti pucchitabboyeva.“。                “客僧が、彼に供給した所の水を飲み終えたならば、水を供給する比丘は、もう一杯必要かどうか、確かめなければならない。“

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-4)(私家版)

バラモン教(ヒンズー教)には、運動によって身体機能を高める方法がある。聖典では、釈子沙門が普遍的に身体を鍛えているという記載はないが、しかし、釈子沙門が鍛錬を通して、身体の健康を保とうとする事は、一概に、間違いとは言えない。たとえ鍛錬はしなくても、歩く事、外で托鉢する事、義務を履行する事等の活動は、非常に広い範囲で、身体能力の向上に寄与しているものである。身体の適応能力を高める為に、行者は、硬い床や地面に坐臥する事を練習し、戸外に留まり、眠る能力を育成しなければならない。水を飲んで夜分薬の代わりとする事にも適応しなければならない。飲食は節制し、たとえ、許可された時間内であっても、頻繁におやつを食べてはならない。お茶(紅茶)、コーヒー等、甘い飲み物を夜分薬とする習慣は、身体に有害である。

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(46-3)(私家版)

ひ弱な身体は、修行するにあたって、巨大な障がいとなる。身体がひ弱でか細いと、必要な事柄がますます増えていく。あれら、身体を愛し、保護したいと願う者は、各種の方法を画策して、身体に必要なものを獲得しようとする。手に入らないならば、非法な方法で以て獲得しようとする。。。この様な弊害を避ける為に、我々は酷暑、雨、露、如何なる天候の試練にも耐えうる様に、又、食事が足りない時は、どの様な粗食にも耐えられる様に、どの様な不味い鉢食でも食べる事ができる様に、どの様な飲み物、食べ物でも、生命を維持できる様に、忍辱(の精神)を備えんと、準備しておかねばならない。。。。。。