Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言~里庭

今朝起きてみますと、とても涼しくて、隣町に電動自転車の試乗に行く前、庭の整理、雑草抜きに精を出しました(これから庭に木道を敷設したいので、その下準備)。

50坪ほどの庭ですが、これまで(9年間)、花屋さんの店先で見つけた苗、後先考えずに購入して、後先考えずに、庭の空いた所に、次から次へと植えていったので、庭のデザインがメチャクチャ・・・。

私、現在71歳、これから先、何年生きられるか分からないけれど、庭をこのままにして死にたくないなぁ、と思い始めて、ガーデニングの本を何冊か読んでみました。

その中で、柳生博さんの雑木林に対するポリシーに共感しました。

が、まさか、彼の真似をして、これから雑木林を育てる、という訳にも行かず・・・そんな中で、神保夫妻の<里庭>の考え方が、大変参考になりました。

柳生さんが言うには、外来種の花木は植えない、どうしても植えたいならば、それは鉢の中だけにして、地面に植えて増やすのは、その土地に前から生えいていたものの中から選抜するのがよい・・・。

私も、これ以上、あれやこれやの園芸種を買ってくるのではなくて、まずは、自分の庭にすでにあるものを大事に育てる事・・・これをやってみようかと思います(とはいえ、野放図に生えて来たものを、全部生かす事はできず、環境保全や、自分の好みに基づいて、取捨選択はせねばならず、何を残し、何を抜き捨てるかが、なかなか難しい・・・大げさに言えば、何を捨てるか、何を捨てないかは、己の人生観が反映しているのですから)。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

般若の独り言~電動自転車試乗の巻

今朝は早くに Y盆地を出発して、隣町まで、電動自転車の試乗に行ってきました。

Y盆地に引っ越してくる前、関東にいた時から乗っていた電動自転車は、バッテリーが劣化して、チャージした電気が、すぐに抜けてしまう・・・車体はそのままに、バッテリーだけ新しいものに替えられないかと相談してみた所、タイプがあまりに古すぎて、もうすでに、この自転車に合うバッテリーは、製造中止になっている、のだとか。

それで、意を決して、新しい自転車を買う事にして、まずは試乗から・・・私の軽自動車は、知人のお下がりで、名義変更費用を含めて8万円、新品の電動自転車は10万円以上します、嗚呼(泣)。

でも、これから何年後か、運転免許証返上の可能性もあり、今から、自動車と電動自転車の両刀乗りをして、自転車に慣れておいた方がよいでしょう。

試乗した電動自転車、私のお気に入り(購入決定)は、ママチャリじゃないヤツで、学生・若者向けで・・・気持ちだけでも老け込まないで、オハナを前籠に乗せて、Y盆地を颯爽と走り抜けたい・・・出来るかな?

(Y盆地には、小さいながらも、美しい湖もあり、岸辺で

オハナとまったりするのもいいなぁ)

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~近況ご報告

今年初めからの、コロナ禍、7月の豪雨、8月の酷暑、9月の台風・・・私、今ではすっかり<オウチ時間老女>です。

この半年、若い人たちは、収入減の心配と、外に遊びに行けない事などが重なって、相当のストレスだと思いますが、元々、仏道修行のために、お寺に籠るのが好きな私は、オウチ時間も、まぁ、余り苦にはなりません・・・

今後、引き続き、海外渡航を自粛するなら、今より1、2年は、パオ森林僧院の瞑想指導者、クムダ・セヤドー、Puññānanda セヤドー等の方々にお会いして、

座禅・瞑想に関するご指導を受けられないであろう事は

<痛恨の極み>ではありますが、自分を取り巻く現実を受け入れるのも修行の内と思い(現状を打破するのが修行である場合もあります)、今はとりあえず、自力で取り組む事の出来る範囲で、頑張る事にしています(まずは、禅病を治す事 & 安般念を深める事)。

近所に住む友人もそうですが、私もご多分に漏れず、今年はお花を育てる事に精を出しました・・・2,3枯らしてしまった鉢もありますが、春に買った麒麟草、キャットテール、アザレア、オリーブなどが倍の大きさに成長しましたし、デュランタサルビアなど、切り戻しをすると長く咲いてくれるお花も、管理が上手になりました(くだんの友人は、スイカを、40玉も収穫したそうです。緑の手を持たない私が収穫したのは、初心者向けの、トマト、きゅうり、豆類。)

熱中症が恐くて庭に出なかった分、雑草がすごい事になっていますが、これはシルバーセンターの人手を借りて、また、造園のプロの方にも相談して、もう少しバランスのよい景観を持つ庭にしたいなぁ、と思っています。

今、電動自転車の整備をしています。

元々、関東にいた時に中古で買ったものが、10年経過して、更に劣化してしまったのですが、せめて、自分の居住区域である Y盆地の中だけでも、自動車ではなく、電動自転車で移動できる様に、前籠にオハナ(ペキニーズ)を乗せて、一緒に走れると、いいなぁと思っています。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~口角

私は生まれながらに不美人(いわゆる<おブスさん>笑)で、その上、青春時代にニキビをいじった跡が、結構なシミになっているので、若い頃から今に至るまで、男性に

もてたためしがないです。

タイの森林僧院に止宿していた時、

テーラワーダで出家した者は、顔の美醜を言ってはならず、鏡を見てはいけない」

と教わりました。

その為、私も、めったに鏡を見ないのですが、この間、ひさびさに、自分の顔を鏡を映してみて

「おや?」

と思いました。

口角が上がっている・・・正確に言いますと、上がっているのではなくて、以前は<ヘの字>になっていた口の恰好が、横一文字型になっていて、顔の雰囲気がよくなっているのです。

思うに、座禅・瞑想を続けてウン十年、パオ・セヤドーの提唱するパオ・メソッドの、16観智という、高度な瞑想までは出来ておりませんが、それでも、座禅・瞑想する事によって、いらぬ妄想が減り、他人への恨みつらみが減った結果(そして、イエスマンも、やめました)、顔の様子が、少し穏やかになっている・・・そんな感じでしょうか。

これから先も、顔の骨格・作りは変わりませんから、私の<美人になる夢>はかないそうもありませんが、引き続き地道に座禅・瞑想を続けていけば、少なくとも、苦虫をかみつぶした様な顔からは、卒業できるかな、と思っています。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

般若の独り言~仏教と科学(色聚と素粒子)

先日、私のブログで、ゴータマ仏陀の教え(アビダンマ)に出てくる所の、テーラワーダ仏教徒・・・パオ森林僧院に属する者は、その願望が特に強いと思われますが・・・座禅・瞑想を通して、心眼で観じたいと願っている所の

<色聚(ルーパ・カラーパ)>

は、現代物理学で言えば、素粒子の事である、または、

素粒子の様なものである、と書きました。

素粒子である》と断定的に書くと、

「お前は実際に観じたのか?」

とツッコミが入りそうなので、

素粒子など(の様なもの)>、

と、(含みを持たせて)書いておいたのですが、やはり、疑問に思う賢兄、賢姉の読者はいて、

「本当にそうなのか?」

という、鋭いご質問を頂きました。

私が、パオ・セヤドーの著書を翻訳していた時(20年前)、著書の中に出てくる<色聚>という言葉に関して

[細胞より小さく、素粒子より大きい物質]

という<注>を書いたのを覚えています。

パオ出身の修行者で、

「色聚は<クォーク>である」

と言う人もいます。

素粒子自体、いまだ全容を分かっていない訳ですから、

<色聚=100%素粒子と同じ>とするのは、少々強引すぎるきらいがあるのは事実でありまして、現時点では、色聚は、

【細胞より小さく、素粒子より大きいか、または素粒子に近似の、極微の物質】

としておくのが、無難かと思います

・・・ゴータマ仏陀は、色聚に、8種類の性質(地、水、火、風、色彩、匂い、味と栄養素)を言う事は、前回のブログにも書きましたが、それが、素粒子の性質と、どの様に対応し、どの様に比定する事が出来るのか(またはできないか)は、今後、素粒子物理学者と仏教者の共同研究が必要かも知れません。

この事は、ダライ・ラマ猊下も、関心を寄せられている様で、著書

ダライ・ラマ 科学への旅 原子の中の宇宙』

『宇宙のダルマ』

という好著がございますので、賢兄、賢姉の皆さま、

是非、ご参考下さい。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

みやもとそうご様のコメントへの回答―4

本日、私がブログに書きました

<みやもとそうご様のコメントへの回答(1~3)>

を読まれました、みやもとそうご様より、二度目のコメントを頂きました。

なかなか難しい質問が書かれています(笑)。

まず、私は、みやもと様が最初に私に下さったコメントが、私を批判したものであるとは、思っておりませんので、ご安心下さい。

パオセヤドーの著書を読み、パオメソッドを理解し、実践するだけでも大変で、タイ、緬甸、スリランカにまたがる、テーラワーダの色々な宗派の違いまで考慮するとなると、私には、とても手に負えません(笑)・・・緬甸内部の宗派の争いは、多少は聞いて知っていますが・・・。

経典やアビダンマなど、どこまでがゴータマ仏陀の金言で、どれが後世の加筆か、ねつ造か、を考察するのは、365日をまるまる研究活動に捧げている仏教学者でも、なかなか結論を出せない難題だと思います。

私は、子供の時に、経典の中の【雪山童子】篇を読んで、大変に感動し、大人になったら<無常・苦・無我・涅槃>について探求するのだと、決意しておりました。

タイのアーチャン・チャーの孫弟子になって、修行もしましたが、パオセヤドーの「智慧之光」(中国語版)に出会った時、これは私が探し求めていた修行方法だと直感しました。

もしも、私が仏教学者なら、パオメソッドって本当にゴータマ仏陀の直伝なの?と疑ってしまい、パオ森林僧院まで出かけて修行することもなかったかと思います。

仏教が好きか、キリスト教が好きか、仏教でもテーラワーダが好きか、大乗が好きかなどなど、もうこれは、不思議な縁で、としか言えない様に思います(銘々の業ですね)。

台湾やマレーシアなど、中華・華人圏で出版された、中国語の仏教書を読んでいますと、大変に面白い現象に出くわします。

大乗がテーラワーダを批判する時、

「我々こそ、仏陀の本懐を担っている」

「源流に帰れ」

と主張します。

そして、テーラワーダが大乗を批判する時も、

仏陀の本懐に帰れ」

「原点に帰れ」

と言います。

双方が、それぞれ、相手の教えの中に欠点を見つけて、《我こそはゴータマ仏陀の継承者である》と、雄たけびを上げている訳です。

私は、どの宗派にも長所と欠点があり、どれを選んで所属するかは、己自身が一番好きなもの、ピンと来るものを選べばよい、ゴータマ仏陀のいない今、完璧な宗派というのは、もう存在しないのではないか、と思っています(それにしても、日本の大乗は、逸脱度が半端ないですが~笑)。

あまり答えになっていませんでしょうか?

今日は、この辺で。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

みやもとそうご様のコメントへの回答ー3

最後に、みやもと様は

経典とアビダンマの関係性について、質問されています。

私は仏教経典学者ではありませんので、的確なお返事はできませんが、以前、緬甸の方(その当時は在家、現在はパオで出家して、比丘)から聞いたお話をご紹介します。

『2600年前、ゴータマ仏陀ご在世の時、当時のインド人は非常に賢明であった為、パーリ経典に書かれている様な簡単な説明、対機説法でも、仏陀が何を言いたいかを、即座に理解する事ができました。

しかし、時代がくだると、経典に書かれてある事が何であるか、即座に理解できる人が、いなくなりました。

それで、現代では、註釈書、復註釈書、復々註釈書を読まなければ、経典に書かれている所の、ゴータマ仏陀の説法の真意を理解できない、という状況になっています。

仏陀ご在世の時代のインド人は、仏陀

「ここに蛇が一匹いる」

といえば、蛇の全身、蛇の習性、蛇の一生を思い浮かべ、仏陀が何を言いたいか、すぐに分かったのです。

現代人は、<蛇>と言われれば、写真を見て、実物を見て、表を見て、裏を見て、解剖して、そうしてやっと蛇への知見を得るのです。

現代人は、パーリ経典を読んだだけでは、仏陀の真意を理解出来ない、と謙虚に認めるべきです。

経典、アビダンマ、註釈書などを学びつつ、修行しなければなりません。』

経典と註釈書との関係性は、上の通りです。

アビダンマは、経典が、対機説法を記録した体裁の為に、法話に脈絡がない事があるため、仏陀法話の真髄を抽出し、整理したもの、という風に理解されています。

また、アビダンマは、仏陀が、先に亡くなった母(マーヤ夫人)の為に、天界に行って説いたもので、その内容が余りに難しいため(天人ならすぐに理解できる)、後に、シャーリープトラが、人類が聞いて分かる内容にして、人々に説いたものだ、と言われています。

これを神話と見做すか、事実とみなすか・・・皆様それぞれに。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>