Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

翻訳『禅修指南』6‐9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

色法の本質

この28(+種類の)色は、単独では存在する事ができない。ただ、色聚として構成された形態でのみ出現する。

すなわちそれは、最も小さい色法の構成・構造であって、その名はまた「密集」(ghana)とも言う。

同一の粒の色聚の中の諸色は:

同時に生起し(ekuppāda)、

同時に滅し(ekanirodha)、

同一の処に依存する(ekanissaya)。

同じ一粒の、色聚の中の四大は、相互に依存し合い、所造色(upādā rūpa)は、同じ一粒の、色聚の中の四大に依存して存在する。

四大と所造色は、みな、その他の一粒の色聚の中の四大に依存する事はない。

究極色、四大がどの様にして相互に依存するのか、及び所造色が、どの様にして、四大に依存しているのかを、如実に知見する為には、(+修行者は)先に、色聚が見えなければならない。

修行者が、色聚を見ることが出来たならば、その後において、彼は、一種類毎の色聚の中の、究極色法は、8個、または 9個、または 10個、またはもっと多くあるのを、見ることができる。

その後、彼は、一種類毎の色法の自性相と本質を、智慧でもって、識別する事ができる様になる。

唯一、この様にして初めて、彼は、究極色法を理解する事ができる。

色聚を識別する所の、この方法の名は「界分別」と言う。

《中部・根本50經篇・大牧牛者經》において、仏陀は以下の様に言う:

「比丘たちよ。

11支を具足する比丘は、この教法の中で成長し、向上し、または成就する事は出来ない。」

この11支の中の一支について、仏陀は以下の様に言う:

「比丘たちよ。

色を知らない比丘とは何か?」

この点に関して、仏陀は更に一歩進んで解説する:

「比丘たちよ。

どの様な色であろうとも、すべての色は、皆、四大及び、四大に依存して造られる所の色である事を、如実に知らない比丘の事を、言うのである。比丘たちよ。

この様な比丘は、色を知らない(+比丘である)と言うのである。」(注22)

注22:『漢訳南伝大蔵經』「中部経典」一。

(6‐10につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

般若の独り言~翻訳も晴れたり曇ったり

この何日か、雨が降ったので、翻訳が少し進みました。

精舎の庭は、晴れた日に、草むしりなどして、少し見栄え、よくなりました。

といっても、一面芝生で、雑草が一本も生えていなくて、バラが美しく満開で・・・というセレブの庭?とは全く異なっていて、バラや樹木の下草は払ってありますが、取りこぼした雑草はあちらこちら、我がもの顔で大威張りです。

思うに、人が「これは嫌な草だ。抜いてしまおう」と思った瞬間が雑草の発生で、名も無い草でも、小さくて可愛いから抜かないとか、役に立つから(自生の三つ葉や蓬、どくだみ等)抜かないでおこうと思えば、雑草ではない・・・みたい。

翻訳は、雨が降れば大いに進み、晴れるとちょっとゆっくり目。よろしくお願いいたします。

  <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

翻訳『禅修指南』6‐8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(22~24)

変化色(vikārā rūpa)。五種類ある:

1、色軽快性(lahutā):

心生、時節生及び、食生真実色の軽快性。

2、色柔軟性(mudutā):

心生、時節生及び、食生真実色の柔軟性。

3、色適業性(kammaññatā):

心生、時節生及び、食生真実色の適業性。

色軽快性、色柔軟性と色適業性に、上に述べた身表と語表の、二種類の色を合わせて、合計五種類の変化色とする。

(25~28)

相色(lakkkaṇa rūpa)。四種類ある:

1、色集積(upacaya):

受胎から目、耳等の諸根が完成する時期において、真実色が生起する(upādā、生時)。

それは、諸根の成長、完成及び適当な色法が充分な程度にまで(+成長し)、また引き続き、継続して成長する(+事をいう)。

2、色相続(santati):

諸根が完成した後、死亡するまでの間、真実色の生起(生時)の呼び名は「色相続」と言う。

諸根が完成した後、それによって、真実色が一生の内に不断に相続する事を、保証される。

3、色老性(haratā):

真実色の成熟または、老化をいう。

すなわち、真実色の住時(ṭhita)である。

4、色無常性(aniccatā):

真実色の壊滅。すなわち、壊滅の時(bhaṅga)。

18個の真実色に10個の非真実色を加えると、合計28色となる。その中の地、水、火、風は、その名を界(dhātu)、または大界(mahā dhā tu)、または種色(bhūta rūpa)と呼ぶ。

その他の24色の名は、所造色(upādā rūpa)と呼ぶ。というのも、それらは四大界に依存して生じるが故に。

(6-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

翻訳『禅修指南』6‐7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(19)

制限色(pariccheda rūpa)。

すなわち、空界(ākāsa dhātu)の事である。

一つひとつの色法は、皆、その他の色法と混同して一体となる事はなく、其々、限界を持っている。この限界及び、色聚と色聚の間の空間を、制限色と言う。

(20、21)

表色(viññatti rūpa)。二種類ある。

1、身表(kāya viññatti)。

すなわち、意思表現としての、身体動作。

2、語表(vacī viññatti)。

すなわち、話をする時の動作。

他人に、己自身の考えを理解させる為の動作は、表色と言う。

身表は、身体の動作によって、己自身の考えを表現するもので、それはたとえば、手を振って人を招くなどである。

語表は、言語によって、己自身の考えを表現するもので、それはたとえば、人を呼ぶときに「ここへ来て下さい」と言う様なものである。

身表と語表は、心所によって造られる為、それらは無生命物(例えばテープレコーダ)の中には存在しない。唯一、有情の言語と身体動作の中にのみ存在する。

(6-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

翻訳『禅修指南』6‐6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(18)

食色(āhāra rūpa

段食(kabalīkāra āhāra)は、食物の中の食素(ojā)である。

一切の色聚の中には、皆、食素色(ojā rūpa)がある。

業生、心生及び時節の色聚でさえも(+それを)含む。

それら食素は、それぞれ、業生食素(kammaja ojā)、心生食素(cittaja ojā)及び、時節食素(utuja ojā)と言う。

禅の修行者が混同するのを避ける為、以下に説明する:

食物が消化された後、その「食素」によって生じる所の、食素八法聚の中の食素のみが、食生食素(āhāraja ojā)である。

言い換えれば、胃の中の、未だ消化していない食物の食素は、なお時節生食素(utuhā ojā)(+のままなの)である。

上の18種類の色法は、また以下の様に言う:

1、「自性色」(sabhāva rūpa)。

というのも、それらは、その一つひとつに自性相、すなわち、硬さ、粗さ等を擁するが故に。

2、「有相色」(salakkhaṇa rūpa)。

というのも、、それらは、一切の名色法における共相を擁しているが故に:

生・滅するが故に「無常」(+という相)であり、生・滅の逼迫を受けるが故に「苦」(+という相)であり、永恒不変の実体を持たないが故に、または、我ではないが故に、「無我」(+という相をもっているの)である。

3、「完成色」(nipphanṇa rūpa)。

というのも、それらは業、または心、または時節、または食を因として生起するが故に。

4、「色色」(rūpa rūpa、真実色)。

というのも、それらの強度は、不断に変化しているが故に。すなわち、熱さから冷たさへ、硬さから柔らかさへと。

5、「思惟色」(sammasana rūpa)。

というのも、観禅の目標とするに相応しいが故に。

それらは、無常・苦・無我として、観照する事ができる。

この後に列挙する所の、10種類の色法(19~28)は、

上に述べた18種類の色法とは反対に、それらは:

一、無自性色(asabhāva rūpa);

二、無相色(alakkhaṅa rūpa);

三、非完成色(aniphana rūpa);

四、非色色または非真実色(arūpa rūpa);

五、非思惟色(asammasana rūpa

である。

(6-7につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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翻訳『禅修指南』6‐5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

28種類の色法

三遍知を育成する為には、五取蘊を構成する一切の名色法を、徹底的に、明確にしなければならない。

故に、禅修行者は一切の色法と名法を知り、学習し、暗記しなければならない。以下は、28種類の究極色法の説明である:

(1~4)

大種(nahā bhūta)、すなわち、四界(四大)

1、地界(pathavī dhātu):

重地(garuoathavī):硬さ、粗さ、重さ。

軽地(lahupathavī):柔らかさ、滑らかさ、軽さ。

2、水界(āpo dhātu):流動性、粘着性。

3、火界(tejo dhātu):熱さ、冷たさ。

4、風界(vāyo dhātu):支持性、推進性。

(5~9)

浄色(pasāda rūpa

1、眼浄色(cakkhu pasāda):

2、耳浄色(sota pasāda):

3、鼻浄色(ghāna pasāda):

4、舌浄色(jivhā pasāda):

5、身浄色(kāya pasāda)。

(10~13)

境色(gocara rūpa):

1、色彩(vaṇṇa)

2、音(声)(sadda)

3、香(gandha)

4、味(rasa)

5、触(phoṭṭhabba)(地・火・風)

地、火、風の三界は、触境を構成する。もし、それらを三境とするならば、合計で7境あることになる。28種類の色法を計算する時、触は含めない。というのも、触境色の地、火、風の三界はすでに四界の中に列せられているが故に。

(14、15)

性根色(bhāva rūpa)には二種類ある:

1、女根色(itt bhāva rūpa

2、男根色(purisa bhāva rūpa

一人ひとり各人には、その中の一種類の性根色しかない。女性には女根色しかなく、男性には男性色しかない。性根色は、全身に分布してる。

(16)

心色(hadaya rūpa

心色とは、意界と意識界が依存する所の色法である。故に、心所依処と呼ぶ。それは、心臓の内部の血液の心色法聚の中に散らばって存在している。

(17)

命根色(jīvita rūpa、jīvitindriya)

この色法は、全身に分布している。それは、業生色(kammaja rūpa)の生命を、維持するものである。

(6‐6につづく)

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翻訳『禅修指南』6‐4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(二)禅修行者は、正確に、また如実に名色法の因を、知見しなければならないが、この智慧は「縁摂受智」(paccaya pariggaha ñāna)と言う。

名色分別智と縁摂受智は、明確に、また正確に、観禅の目標としての、諸々の行法を知見できるが故に、この二種類の智は「所知遍知」(ñāta pariññā )と言う。

(三)観禅の段階、すなわち「思惟智」(sammasana ñāna)の始まりにおいて、禅修行者は、一切の色法、名法及びそれらの因の無常・苦・無我の三相を、徹底的に見なければならない。

諸々の観智の中で、「思惟智」と「生滅随観智」の作用は、一切の名色法及び、それらの諸々の因の無常・苦・無我の三相を審察し、また識別するものである。

この二種類の智は、また、「審察遍知」(tīraṇa pariññā)とも言う。

「壊滅随観智」(bhaṅga ñāna)から始まる所の観智は、一切の名色法及び、それらの因の壊滅と、それらの行法の無常・苦・無我の三相をのみ、見るものである。

断ずるべき煩悩は、その(+知見によって)暫定的に断じ除かれる為、それらは「断遍知」(pahāna pariññā)と呼ばれる。

四種類の聖道智は、心を眩まし隠蔽する所の無明(avijjā)、または痴(moha)を、徹底的に根こそぎ、断じ除く。

聖道を証悟した者は、一切の名色は苦諦である事を知り、名色は因の集諦である事を知り、苦諦と集諦における、無常・苦・無我の三相を知る。

聖道は、諸々の行法の無常・苦・無我の作用を、円満に遍知し、審察する事ができるが故に、「所知遍知」と「審察遍知」と言う;

(+この知は)煩悩を徹底的に、根本から断じ除く事ができるが故に、「断遍知」と(+も)言う。

(6-5につづく)

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