wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-31

     <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

一切的意識領域、一切的衆生

(すべての意識的領域、すべての衆生は)

都源自于心。

(みな、その心を源としている。)

所以、你最好全神専注自己的心、

(故に、全身全霊をかけて、己の心を専注せよ。)

你会在這里発現整個宇宙。

(そうすれば、あなたは、そこにおいて、宇宙全体を発見するであろう。)

山中の亡霊

皐山寺は、アチャン・カンパンの指導の下、徐々に発展して、道風蓬勃とした道場となり、出家の男女二衆は、皆、禅の修行に専心した。

アチャン・カンパンは、かつて、アチャン・サオの膝下で何年も参学しており、故に宗風は、この尊敬すべき仏教指導者の風格と一致した。

寺院内に住む者は、和合の精神を重んじ、お互いに尊重し合って、共に暮らした。

毎朝、僧たちが粛々と徒歩で村に入り、托鉢する光景は、人々に、油然として、敬慕の念を抱かせた。

メーチたちは、寺院に残り、露天の厨房に集まって、煮炊きをし、僧たちが托鉢から戻った時に、少しばかりの白飯とおかずを、補充した。

村人が、寺院の入り口にベンチを置いたので、僧たちが戻ってきた時、メーチたちは、ここに立って、準備しておいた食べ物を、彼らの鉢の中に入れた。

寺院に戻って、分配するべき物品を分配した後、僧たちは、大殿に集まって、安居の年数の多寡に従って、順序良く座り、経を読んで祝福した後、黙々と朝食を摂った。

メーチ達は、読経による祝福を受けた後、自分たちの住まいに戻り、同じように、出家の年数の多寡によって、座席を決めて、黙々と食事をした。

食事が済むと、男性たちは、各自、鉢を洗い、ふきんで拭いて乾かし、鉢カバーをかけて、並べて収納した。

女性たちは、茶碗や鍋を洗い、厨房の片づけと掃除をした。

朝の作務が終わると、ここで寝泊まりしている修行者達は、各自、辺鄙な場所にある小さな茅葺小屋に戻り、経行~歩く瞑想か、または坐禅をした。

彼らは、午後四時ごろまで森の中にいて、その後寺院に戻り、午後の作務に取り掛かった:

まずは地面を箒で掃き、その後に、皆で付近の池まで行って水を汲み、それぞれの水がめを一杯にした:

飲むためのもの;

足を洗うためのもの;

鉢と鍋などを洗うためのもの、など等であった。

作務が済むと、シャワーを浴び、引き続き、禅の修行をした。

もし、その夜に会議がないならば、深夜まで修行して、その後に、ようやく眠った。

アチャン・カンパンは、通常、一週に一度、常住の者を集めて集会を開いたが、それは、斎戒の日の夕方に催された。

皆は、まず一緒に読経し、偈頌を念誦して、三宝を讃嘆した。

夜の勤行が終わると、アチャン・カンパンが禅の修行に関する注意点を述べ、皆が弁道に努力するよう、激励した。

法話が終わると、弟子たちの質問や問題に答え、どのようにして修行を継続するのか、指導した。

他の日に、もし何か急用があった場合、適当な時間に彼に会って、相談する事もできた。

修行の上において、アチャン・カンパンは、深く弟子たちに敬われ、尊敬された。

彼は紳士的で礼儀正しく、人に対して正直で誠実であり、事に当たっては、慎重かつ堅実であった。

(4-32につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-30

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

次の日の朝、メーチ・ケーウは、大殿において、他の出家者と一緒の時に、声を低めて、今回の、考えられない程不思議な出来事を、話して聞かせた。

彼女は情景を詳細に述べて、皆が、全体の状況を理解し、もし、本当に、あの猟師が猪の肉を持って来たならば、彼らが慈悲の心でもって、猪の布施を受け取れるように、配慮した。

彼女は、お寺の住人全員に、幾らかずつでも猪の肉を食べてあげて欲しい、その事によって、彼の布施への発心を尊重してあげられるし、かつ、そのようにする事によって、彼が人道に往生できるよう、支援してあげる事もできるのだからと、頭を下げた。

果たして、予想に違わず、その少し後に、猟師阿黒の妻が、寺院にやって来た。

彼女は、猪肉の焼いたのを持ってきて、アチャン・カンパンと僧侶たちに、恭しく供養した。

彼らは、彼女に、この猪の肉は、どのようにして手に入れたのかと聞いた所、彼女の申し述べる所の事は、すべて、メーチ・ケーウの説明と、一致した。

すべての出家者は、この供養を受け取り、彼らの慈悲による行為が、多少とも、この可哀そうな命の苦痛を、和らげられるようにと、願った。

メーチ・ケーウは、渇愛が、死と再生を繋ぎ、生命をば、一連の、止まる所を知らない、憂いと悲しみと、苦悩の中に、引きこむのを見た。

彼女は、非常に多くの人々が、貪欲に捻じ曲げられ、憎悪に追い立てられる光景に、遭遇した。

彼らは、茫々たる無明の大海の中で、頼れる者もなく、定かな目標もなく、ただ漂いながら、過去に為した深重なる業力に巻き込まれて、下方に沈んでいくばかりであった。

悪道にある神識は、福徳の資糧を最も必要としていながら、これらの餓鬼は、過去世において人道にあった時、無私の心で布施をする習慣がなく、道徳による庇護の力を、見落とした。

人身を得た時に、福徳の資糧を蓄積しないならば、死後、神識が暗黒の悪道に堕ちた時、もはや再び、徳を積むことはできない。

これら孤独な魂や野卑なる魂は、己自身の内に頼りにできる福徳がなく、他人による救済を待つ他なかった。

もし、人道にいる善人が、身口意の三業の功徳を、彼らに回向する事を発心しなければ、これらの餓鬼は、極度な貧困と窮乏の中に生きて、善道へ向かう方法が全くなく、ただ、引き続き、悪業による悲惨な応報を受けるしかなく、過去に行った悪事または一時的になした悪の果報が消耗しつくされるまで、待たねばならなかった。

メーチ・ケーウは、餓鬼は、流浪している動物のようで、貧困と恐怖の環境の中で漂泊しており、心霊の力が尽きる事によって当惑し、気遣いをしてくれる主人がいない、と思った。

これらの悪業の果報に落ち込んだ衆生は、どの道に生まれようとも、皆同じであった。

というのも、彼らの苦痛と悲惨は、止まることを知らないものであったから。

(4-31につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-29

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、この猪が言い出した願い事に、非常に驚いた。

長年、彼女は動物の亡霊が、己の肉をもって供養とし、それを功徳となす、という事に出会ったことがなかった。

彼女は、心底この猪の悲惨な運命を憐憫し、慈心を回向してあげると同時に、彼から申し出のあった、布施の心意気を、受け取った。

彼女は、彼の布施の功徳を讃嘆し、彼の自尊心を激発した。

その他の、悪道にいる衆生に開示するのと同じように、メーチ・ケーウはこの猪に対して、五戒は、人身を得るための根本である事を強調し、五戒でもって、身口意の三業の規範とするようにと、諭した。

その後に、メーチ・ケーウは、修行の功徳を彼に回向する事を祈願し、彼が人道に往生するようにと、願った。

猪は、満足した様子で、彼女と約束し、彼女の祝福による励ましを受けて、恭しく別れを告げて、去って行った。

(4-30につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-28

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

この猪がメーチ・ケーウに訴える所によると、彼はまた再び、野獣に生まれ変わるのを、非常に恐れている、との事だった。

再度、あの信じがたい苦痛、長期的な怖れと猜疑の中で暮らすのは、耐え難い。

一頭の猪になって生まれれば、永遠に気の休まる時はなく、一日として、安心して日を過ごすことができない。

この猪はメーチ・ケーウに、彼は再び、畜生に生まれ変わることを、避ける事ができなさそうで、それが辛い。悲しいかな、福徳薄く、将来どこへ生まれ変わるのかという見通しも、立たない。

故に、わざわざ彼女に会いに来たのは、彼女が回向する功徳によって、自分が人として生まれ変わる可能性を高めたいが為だ、と言った。

彼は、自分が、先ほど猟師に殺された身体の肉以外に、彼女に供養できるものはなく、故に、メーチ・ケーウに慈悲をもって、彼の肉を食べて貰いたい。そしてメーチ・ケーウに、身体の気力を高めて、人に敬愛され、尊敬される精神生活を過ごして貰い、その事もまた、彼の功徳としたいのだ、と言った。

その猪は、急くようにメーチ・ケーウに伝えた。

明日の朝早く、猟師の家人が、彼の身体である肉を、寺院に持ってきて、供養する。彼は、メーチ・ケーウに、彼の肉を食べて欲しい。

この布施が、彼が、人として生まれ変わるのに十分な功徳で、あって欲しい。

猪は、彼女に一番上等の部分の肉を供養したいのだが、しかし、彼が思うに、人は利己的だから、あの猟師は、精肉は己の手の中に残し、残りの肉を持ってくるだろう。

(4-29につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-27

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、心の言語で直接、これらの衆生と交流し、彼らにどのような問題があるのか尋ね、彼らの生活の背景を理解し、彼らの物語を傾聴した。

彼女は非常に、彼らを援助してあげたかったのだが、ただ、大方出来た事と言えば、彼女の禅の修行と梵行の功徳を、彼らに回向するのが精いっぱいで、後は彼らが、これら手に入れた功徳を、どのように上手に利用するか、という問題が残されるだけだった。

ある時、彼女は禅定の時、水牛事件より尚、不思議な事件に、出くわした。

それは一頭の、殺された猪であった。

この猪は、夜中に皐山に来て、餌を探しながら、野獣が水を飲む水溜まりまで来た時、そこに身を伏せて、隠れていた当地の猟師に、射殺されたのである。

メーチ・ケーウが、明け方まで瞑想していた時、一頭の猪の霊魂が、彼女の視野の中に、浮かんで現れた。

この霊魂が、メーチ・ケーウを訪ねて来た時、彼女はもう何を見ても不思議にも、思わなくなっていて、その為、意識を直接相手に向け、この猪に、一体何の為に、私の所に来たのかと、直接訊ねた。

猪は、驚いた様子で、ドギマギしながら、ボソボソと、語り始めた。

彼が言うには、自分は、水溜まりに来た時、阿黒(=アーヘイ)という猟師に、殺された。

メーチ・ケーウは、なぜ、そのように注意を怠ったのかと、問うた。

猪は、メーチ・ケーウに、彼を信じて欲しい、と懇願した。

彼は、生きていく為に、いつも警戒心を解かず、特に猟師には注意していた。

野獣が大自然の中で生きて行くためには、その凶悪危険な様は想像を絶し、その環境は、通常の辛苦、厳しさではない、と言った。

猪は森の中にいて、季節の影響を受けるだけでなく、その他の猛獣の脅威にも晒され、猟師と落とし穴は更に危険で、その為、いつも慄きながら、暮らしている。

この猪は、非常に慎重な性格で、故に長年生きてきたが、不幸にも、最後にはやはり、猟師に殺されてしまう運命となった。

(4-28につづく)

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「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-26

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

不要像動物那様只知喫睡、

(動物のように、ただ食べて、ただ眠るな)

戒惧自己不再沈迷世俗的生活、

(またもや、世俗の生活に沈潜することに惧れを抱き)

謹小慎微害怕来生会堕落。

(小さき<悪>を謹じ、ささやかなる<悪>を慎み、来世の悪趣に備えよ)

不要座在那里発呆、

(君よ、そこで惚けていないで)

生命剰下的時日不多了、

(生命の火の、残りの時間は少ないが故に)

好々警愓自己!

(己の覚醒にはげむべし!)

いのしし

メーチ・ケーウは、心の言語でもって、心霊の領域の衆生と、交流する。

これは、すべての衆生の、共通言語である。

ちょうど人間の意識が、話の内容と形式を決定するように、心霊の領域の衆生の意識流は、思いと感情によって交流されるが、その中には、意味と目的が含まれる。

一つひとつの思いと感情は、明確な内容を含んでおり、他の衆生の意識と交流する時、明晰で完全な概念と己の考えを、直接相手方に伝達する。

(4-27につづく)

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「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-25

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、この不幸な神識の、悲惨な境遇に深く同情して、人道に往生できる種を蒔いて貰いたく、慈悲をもって彼に、功徳を回向してあげた:

”私の功徳を、あなたに回向します。

それによって、あなたが己の言動を守り、善根を育て、あなたの善なる品行を導き、資糧を蓄積して、真実、楽しい場所に、往生するようにと、祈願します。”

この水牛の神識は、メーチ・ケーウの祝福を受けて、彼女の殊勝な功徳の回向に随喜した後、軽快で歓喜の伴った心で、そこを離れた。

それはまるで、彼が生まれ変わりたいと思う所の善道へ向かって、針路を取ったようであった。

翌朝、メーチ・ケーウは当地の村人を一人呼んで、側に来てもらい、こっそりと、昨夜起こった出来事を、話して聞かせた。

彼女は彼に、あの水牛の前の主人である老通が、どこに住んでいるか、あの牛に、何をしたのかを、調べて欲しいと、言った。

また同時に、彼女がこの事件を調べている事は、老通に知らせないようにと、釘を刺した。

というのも、事が公になれば、老通は面子を失うし、老通が彼女を恨んだ場合、彼の悪業が、益々深まるが為に。

その村人は、彼女から話を聞くと、彼らは、二人とも同じ村に住んでいて、老通の事は、よく知っている、と言った。

昨夜の八時過ぎ、老通は、水牛を木の幹に括り付け、殺した。

村全体に、哀れな水牛の、必死の嘶きが、響き渡った。

殺した後、老通は、肉を焼き、たくさんの友人を招いて宴を催し、人々は騒ぎまわり、明け方まで、騒音が絶えなかった。

人が悪業を為しているのを見て、メーチ・ケーウは悲しかった。

心内の奥深い所で、彼女は、錐に刺されるような痛みを感じた。

それはまるで、悪業を為しているのが、自分の子供であり、その粗暴な行為に、彼女の、人間性への信頼が、裏切られたように感じた。

彼女は加害者と被害者が、怨恨、報復、暴虐と怒りの循環という悪業の中で、一世また一世と、相互に役割を変えながら、絶え間なく、下方へと落下して行き、ますますもって、暗黒なる悪道へと、向かうのを見た。

メーチ・ケーウは村人に、あの水牛が、もし救済を希望するならば、ただ、憎悪、恨みと復讐の念を停めて、他人の善行を随喜するしか、方法がない、と言った。

今現在、彼は鬼道の衆生であり、善を実践する事はできないが、しかし、他人の善行を随喜・讃嘆する事によって、心霊上においては、それを善行の功徳だと、見做すことができる。

あの水牛は、メーチ・ケーウと善縁を結んだが故に、善道に往生するための、第一歩を、すでに歩み出す事ができた。

未だ、生死輪廻から解脱できていない人は、よくよくこの事件を思惟して、どのような人間であっても、もし心の修行を怠り、戒の原則を守る事を軽視するならば、同様の境地に堕ちる事を、覚悟しなければならない。

(4-26につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>