読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-6

【リラックスの方法】

もし、出家者であれば、定の修習の前に、読経、仏像の礼拝、経行、または屈伸運動(=ストレッチ)をしてもよい。

1、読経――丹田(小腹)の力を使う。肺の奥深くから情感を用い、調和のとれた静かな心情で読む。読みながら、経文の意味を理解し、仏陀の智慧と慈悲を追体験する。読経の重点は、意味と心境を了解することであって、数量の多寡は問題にならない。

経文の境地を読むことができれば、心身は、自然に静かになり、リラックスする。

2、仏像の礼拝ーー敬虔に誠意をもって、ゆっくりと礼拝し、同時に、己の心身が、仏陀の崇高で偉大な徳のエネルギーを浴びていることを感受して、精神的な加持を得る。どのような形式の礼拝の仕方であっても、自我を忘れ、一心に仏の徳に溶入することができれば、心身は自然に静かになり、リラックスする。

3、経行ーー心身をリラックスさせて、往復で、歩く。最初、始めたばかりの時は、歩調は少し早くてもよい。その後、心が平静になるのに伴って、歩調は、徐々にゆっくりにする。経行する時、内心において、衆生に対して、軽く慈愛を散布してもよいし、または、心身を完全に空と観じてもよく、また、<今・ここ>の心身の現象を覚知してもよく、または、心を下方に沈めて、足の移動を覚知してもよく、または足が地面に接するのを、感じてもよい。

どのような方式で経行するにしても、心身が静かになり、リラックスできることを、基準とする。

4、屈伸運動ーー手の(+中国式)ブラブラ運動、体操またはストレッチ等。己の動作に合わせて、頭、首、体、四肢の筋肉や筋などの各部分を前後、上下、左右に展開させる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay> 

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-5

定の修習において、善くて巧みな人は、まず、先に、己の心身を調整して(前行)、心身を定の修習に適応する状態にしてから、正式に、定の修習に取り組む(正行)べきであることを、知っている。

もし、日常的に、常に、定の準備作業に関する訓練を積み重ねていると、その日々の積み重ねによって、一日の内に、常に良好な心身の状態を保つことができるようになるが、それは、常に良好な前行状態にあるのだと言えるし、そのようになれば、(+修行者は)いついかなる時でも、随時に、正式の定の修習に入ることができる。

定の修習における姿勢は、第一級の修行者ならば、最も佳いのは、自然で、リラックスした散盤坐(=あぐら)または半跏趺坐である。

結跏趺坐は、ほとんどの初心者には適合しない。というのも、それは非常に身体を緊縛するもので、多くのエネルギーが頭部に上り、その結果、エネルギーの滞りが起こるからである。

半跏趺坐は、心身がすでに、非常にリラックスしている人にだけ適合する。というのも、彼らにとっては、エネルギーは、全身を駆け巡っていて、阻害なく、頭部にだけエネルギーが籠る、という事がない。

故に、あなたは、徐々に自分自身を訓練し、散盤坐(=あぐら)から、半跏趺坐ができるようにし、その後に、結跏趺坐を取るのがよい。

もし、あなたに健康上の問題があれば、椅子に座って、定の修習をすることもできる。

定の準備作業は、一言でいえば:リラックスと(+執着、心配事の)手放し、である。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-6につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-4

定の準備の作業の重点は、気血の滞り、心身の緊張、五蓋の煩悩等、定の修習における心身の障礙を取り除くことにある。

そのことによって、修行者が順調に、正定へと向かうことが出来るし、それは、正式に定を修習するにおいて、その勝敗優劣を決めることになる(+からである)。

たとえば、野菜を炒める前、野菜の良い部分を選ぶことなく、野菜を洗う時に綺麗に洗っておらず、野菜を切る時に正確に切っていない時、その野菜炒めは、欠点だらけで問題が多く(+食べることができない)。

同じように、瞑想・静坐の前に、もし、心身を調和のとれた、リラックスした状態に調整していないのであれば、瞑想・静坐の時に、心身が浮つき不安になり、雑念が多く飛びかい、高品質の効果を得る事は非常に難しいだけでなく、高度の成就を得ることは、もっと難しい。

もし、良い定を修習したいと本気で考えているならば、定の準備作業において、最も長い時間を費やす必要とする。

ちょうど、野菜を炒める時のように、正式に野菜を炒めている時間は長くはないが、野菜を炒める前の準備作業:たとえば、よい野菜を選る、野菜を洗う、野菜を切る等、これらの事に時間が掛かるものなのである。

初心者で言えば、もし、静坐を15分間するのであれば、静坐の前の準備作業は30分掛かる。そのようにして初めて、静坐の時に、高度な品質の心境が得られるのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-5につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-3

仏陀は、「定の準備」と、入定自在、住定自在、出定自在などとを、並列して述べている。

このことは、定の修習における準備作業の重要性を、存分に示している、と言える。

第一級の修行者にとって、定の準備(前行)は、最も大きなキーポイントであり、最も重要な作業であり、正式に座って、定の修習をする(正行)よりも、なお重要である。

定の準備が上手くいかない時、定の修習は非常に困難なものになる:

反対に、定の準備が上手くいけば、定の修習は、簡単で楽しいものになる。

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。(2-4につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay> 

☆「掌中の葉」(翻訳文)~2-2

《増支部・六法集・第24経》において、仏陀は定の修習について語った時、以下のように述べた:

丘は以下の様でなければならないーー

定に入る事において、善くて巧みであり、定に住む事において、善くて巧みであり、定から出ることに、善くて巧みであり、定の準備において、善くて巧みであり、定の行処において、善くて巧みであり、定の決意において、善くて巧みである事。

 

以下に述べるのは、上記の経文の中の六種類の<善くて巧み>に関する解説である:

定に入る事において善くて巧みである事ーー定に入りたいと思ったとき、迅速に、定に入ることができる。「入定自在」とも言う。

定に住む事において善くて巧みである事ーー自分自身が事前に決めておいた、定に留まる時間に基づいて、その時間の間、定に住することができる。「住定自在」とも言う。

定から出ることに善くて巧みである事ーー自分自身が事前に決めておいた定から出てくる時間に、出てこれる事。「出定自在」とも言う。

定の準備において善くて巧みである事ーー不利な、または不適切な要素を避け、有利で、適切な要素を運用する。順調に入定できるよう、心が喜ぶような、準備作業をしておく。

定の行処において善くて巧みである事ーー定を修習する目標、定の修習における禅相などをよく理解すること。

定の決意において善くて巧みである事ーージャーナを一段階ずつ上がっていく決意ができること。たとえば:初禅ができたならば、次に、第二禅に進むことを決意しさえすれば、自在に第二禅に入れること。以下類推の事。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-3につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-1

第二章 定の進展

行道と通達

ここにおいて、初めて(+目標に)専注する事から、何らかのジャーナが生じる近行定の生起まで、その中間における定の修習の過程を「行道」と言う。近行定から安止定まで、その中間における智慧は「通達」と言う。《清浄道論・第三章・第15段》

 

ここにおいて、我々は、主に、定の修習における二つの段階を知ることができる:

予備定から近行定は、一つの段階であり、近行定から安止定もまた、もう一つの段階である。

予備定から近行定までの、この中間における定の修習の過程を、我々は「行道」と呼び;

近行定を証得した後から、安止定を証得するまでの、その中間における智慧を、我々は「通達」と呼ぶ。

本書(初級編)においては、我々は「行道」の育成に重点をおいており;(+将来出版される)中級編においては、「通達」の育成について、重点的に説明する。

まず「行道」の育成から(+説明を)始める。

定の修習は、通常、三つの段階に分けることができる。

一、前行。

二、正行。

三、結行。

 

一、前行

前行(定の修習に取り組む前の準備)--リラックスと手放す事

もし、修行者がいまだ、障礙などの克服を完成しないままに、修行に努力するならば、彼の行道は困難なものになる(苦行道)。《清浄道論・第三章・第16段》

定の修習を行う前、定の修習がスムースに、安定して進むように、必ずや、準備をする必要がある。所謂「凡事予則立、不予則廃」で、修行に取り掛かる前に、準備をしておけば、定の修習の半分は成功したことになる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-2につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-46

ソーナ・コーリヴィーサ長老(Soṇa-Koḷivīsa Thera)は、またの名を、スクマーラ・ソーナ(Sukhumāla-Soṇa)と言い、チャンパー(Campā)の生まれで、父親は牡牛長者(Usabhaseṭṭi)である。

王舎城において、ソーナは、仏陀の説法を聞いて、信心(=確信)で(+胸が)一杯になり、父母の同意の下、出家して、比丘になった。

仏陀は、彼に禅修行の業処を一つ教え、彼は清涼林(Sītavana)に行き、以下のように思った:「私の身体は弱い。しかし、快楽を通して楽しみを得ることはできない。たとえ身体が疲労困憊しようとも、私は、沙門として、禅の修行をしなければならない」

このように思惟して、彼は、ただ、立つことと、歩くことという二つの姿勢・動作だけを採用し、睡眠もとらず、座ることもしなかった。

彼は修行に精進し、行ったり来たりして(+歩く)瞑想をし、その結果、両足を痛めて、激痛が走るようになった。

彼の両足からは血が流れ、経行する道は、牛を殺す屠殺場のように、血だらけになった。

しかし、強すぎる精進のために、彼は修行に成功することがなく、そのために、絶望した。

霊鷲山に住んでいた仏陀は、彼の考えを知って、彼を訪問した。

仏陀は彼に注意を与えた:君は以前、楽器を奏でる時があったが、その時、弦をきつく巻きすぎたり、または弦が緩すぎたりすれば、楽器の音は美しく響かないし、弾くにも苦労する(+ことがあったに違いない)。

同様に、精進根が強すぎる時、動揺(=落ち着かない様)が生じ、弱すぎる時は、怠惰が生じる。仏陀は、どのようにして、定根によって、精進根をバランスするかを、彼に教えた。

過ちを糺した後、ソーナ長老は、再び禅の修行に励み、最後には、阿羅漢果を証悟した。

以上は、ソーナ長老の物語である。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-47につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>