wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

是誰庵のひとやすみ~今更聞けないテーラワーダ(1)

<普通のおばさん、Sayalay(尼僧)になるの巻>

15年前、タイから日本に帰る途中台湾に寄った所、年若い女性からパオ・セヤドーの中国語の著書「智慧之光」(後に日本語に翻訳して「智慧の光」)を頂き、その内容に衝撃を受けました。

これを翻訳したいと、熱に魘される様に日本に帰国。

仏縁と言いますか、その二か月後にパオ・セヤドーがご来日。

そこで、翻訳の許可を頂くために、セヤドーの法話会に参加しました。

セヤドーは「翻訳なんかしなくていい」「それより、ビルマに来て修行しなさい」とおっしゃる。

そう言われても、私はどうしもて翻訳をしたかったので、翻訳をすませてから、その年の秋でしたか、ビルマのモーラミャインにあるパオ森林寺院に、セヤドーを追いかけるようにして、行きました。

結局、そこで二年間修行したわけですが、その時、同じクティに寝泊まりしていた台湾の女性が「あなた、出家してsayalayになりなさい」とのたまう。

在家でも十分修行できますから、出家の必要性はなかったのですが(sayalayになると托鉢の順番が先になり、インタビューも優先して先に済ませてもらえますが、特権と言ってもそれくらいです)、彼女「緬甸の人たちが喜ぶから!一時出家でもいいのよ!!」と、強引に私を上院にお住いのパオ・セヤドーの元へ引きずって行きます(笑)。

セヤドーから出家の許可を頂き、指定された日に、カミソリを持って、下院のお寺の玄関に出向くと、下院の責任者(尼僧)アッガさんと若いSayalayたちが、水の入った洗面器を持って、待っていてくれました。

年若いsayalayたちが、何かのお経を唱える中(リフレインがきれいでした)、アッガさんが私の髪の毛をジョリジョリ剃ってくれます。そして、丸坊主になった私は、セヤドーの所へ行って儀式が済んだことを報告し、セヤドーから戒名を頂きました(翻訳のペンネームに使っているPañña-adhikaがそれで、<般若の智慧がシャープである>とセヤドーが、そのパーリ語の意味を説明してくれました。)

その後下院に戻り、たまたまお寺にあったお古の尼僧服を2セット頂き、二年後、日本に帰る日まで、こげ茶色の法服(袈裟)を着て、パオ森林寺院のsayalayとして過ごしました。

パオ森林寺院の本山のSayalayは10戒です。10戒の第十条は<お金を持たない、触らない>ですから、日本に帰ってから、秘書か執事でもいない限り、戒律違反になってしまいます。それで、帰国直前に還俗して、在家に戻りました。

2016年10月、これを書いている今、私は、以前と同じパオ森林寺院のsayalayですが、9戒です(第十条の<お金に触らない>を除く)。

3年か4年前か、クムダ・セヤドーの山口でのリトリートに参加した時、パオ・セヤドーと同じく「修行においでなさい」と言われた事が切っ掛けで、私は「息子も結婚して、孫も生まれた。今度は一生sayalayでいたいので、9戒にしていただこう。9戒なら守れそうだ」と思い、クムダ・セヤドーにそう願い出て、許可を得たものです。

そして、ちょうど二年前の今頃、ビルマヤンゴンのモービー僧院にて、クムダ・セヤドーに戒師になって頂き、二度目の出家をしました。

一時出家の制度は、ビルマとタイにあり、スリランカは終生出家制です。パオ・セヤドーは、一時出家制度はあまりよろしくない、というご意見です。

タイとビルマ、両国で修行した経験のある私ですが、一時出家制度がいいか悪いか、判断しかねます(お寺の主になるくらい長期滞在した外国人は別として、短期で修行する外国人は、その国のサンガの内部事情までは、なかなか分からないですね)。

227条の戒・律を守る男性の比丘出家は、もう少し複雑で、親類縁者が祝ってくれるので、華やかです。

興味のある方は少々古いですが、青木保著「タイの僧院にて」などが参考になるかも知れません。

 

次回は、<なぜテーラワーダの女性出家者はsayalayと呼ばれ、なぜ比丘尼(ビックニー)ではないのか?>です。

追補:テーラワーダでは、出家して戒名をつけて頂くのに、費用はかかりません。モーラミャインでは、わけ知りの方に「戒名をつけてくださるセヤドーに、何かお布施を」と言われましたので、日本で買っておいた箱入りのボールペンを、急きょ、セヤドーへのお布施としました。

外国人の私には、出家の儀式に、どんなお布施がふさわしいのかよく分からず、持っていた文房具をそれに当てたのですが、戒名自体に費用がかかる訳ではありません。

日本の、僧侶が死者に戒名をつけてお代を頂戴する習慣は、如何なものかと思います(院がつくと高いとか、大姉がつくとどうかとか、もってのほかでしょう)。

戒名は、死者につけるものではなく、戒を守ると誓った、生きた出家者に、戒師がつけるものです。

(つづく)