多くの修行者は、このような問題に遭遇する:
彼ら自身は出定したくても、心は、出定したくない。
彼らは往々にして:
彼らの心は、出定して何秒かの後、また再び入定してしまうのである。
これこそが、修行者に禅相が現れ始めると、夜、入眠できなくなる理由である。
彼らの心は出定を拒否し、故に、彼らは一晩中、明るい光を、見続けることになる。
身体は非常に疲弊しているのだが、しかし、彼らの心は、定の中にあり続けたいと思っているのである。
この現象を、良いことだと誤解してはならない!
一晩中、定の中に入っていられるのは、非常によい事ではないのか?(この「定」は、正定とは限らない事に、注意を払って頂きたい)。
このことについて、(+生じている事柄に関して)はっきりさせる必要があり、以下において、二種類の異なる状況の説明をする:
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。(2-21につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。
ご協力、よろしくお願いいたします。
<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>