Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-5

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

我們生下来従孩童到長大成人

(我々は、生まれてこの方、幼少の頃から成人するまで)

都依頼父母和師長。

(いつも、父母や教師を頼りとした)

我們能有今日都是由于他們的撫育、

(我々が今日あるのは、彼らの養育のおかげであり)

他們対我們恩重如山。

(我々の、彼らに対する恩は、山の如くに重い。)

謝恩

アチャン・マハブーワとその弟子たちは、引き続き、卉晒村の付近で、何年も生活し、修行した。

メーチ・ケーウは、神通によって、いつも、彼らの動静を知ることが出来た。というのも、彼らが去る時も、戻って来る時も、そのことが、彼女の意念に反映するからであった。

1953年、雨安居が終了した後、アチャン・マハブーワは、禅の修行中に、一つの予兆を見た。それは、彼が禅相の中で高く舞い上がり、空中に停まって、一群の信者に法を弘めている、というものであった。

彼が、下の方を見ると、己の年老いた母親が、彼に対して礼拝し、その後に、遠慮がちに、彼の目を見て、彼に対して、彼女の事を忘れないで欲しいのだといいたげに、”あなたはもう戻ってこないのですか?”と訊ねた。

出定後、アチャン・マハブーワは、禅相の意味を思惟し、これは明らかな予兆で、戻って母親を修道せしめ、彼女を度すべき時が来たのだ、と思った。

彼女が彼になした犠牲に対して、深い恩を感じていたアチャン・マハブーワは、故郷に戻って、60歳になる母親を剃髪得度させ、出家してメーチとなし、彼女に生ある間、仏法を学び、修行してもらいたいと思った。

そして、彼は即刻手紙を送り、彼女に剃髪得度の準備をするように、伝えた。

アチャン・マハブーワは、メーチ・ケーウに、一緒に故郷に行って欲しいと言った。彼は、母親が修行を始めるにあたって、メーチ・ケーウが彼女を指導し、また、彼女の傍にいてくれれば、彼女にとって、メーチ・ケーウは、理想的な道友になれると思った。

アチャン・マハブーワが、メーチ・ケーウを指導して、彼女の道業を成就させてくれたので、彼女は彼に対して、信頼の心篤く、一心に、彼に報恩したいと思った。

故に、彼の要求に応えて、後二人の尼僧と共に、アチャン・マハブーワの一行と連れ立って、バーンター村までの、遠い旅路に同行した。

アチャン・マハブーワはウドンタニの生まれで、そこは、卉晒村から何百マイルも離れていた。

彼らがバーンター村に到着した時、彼の母親は、新しい生活を待ちきれずにいて、その為、彼らは即刻、彼女の落飾得度の手配をした。

彼女は年老いていて、森林の中で、共に行脚するのは無理であったので、アチャン・マハブーワは、村の近くに土地を見つけて、森林道場を建てたいと思った。

彼の叔父が友人たちと相談して、村から南方へ一マイルほど離れた場所にある、70エーカーほどの土地を布施する事になり、彼は、この申し出を受理した。

彼はここに落ち着く事に決め、男女の出家者が、皆、ここで、安らいで静かに修行の出来る道場を、開山・建造したいと、思った。

その為、早速、信者たちに、竹と萱で、簡単な大殿を建てる事、出家者の住居として小さな茅葺小屋を建てることを指示した。

道場が出来上がるまで、アチャン・マハブーワは彼の年老いたメーチである母親、メーチ・ケーウと一群の比丘たちを連れて、東南方面、遥か遠くのチャンタブリに出かけた。

彼らが足を止めた所は海辺で、そこには多くの漁民と果樹農民がいた。彼らは、1954年の雨季を、ここで過ごそうとしたが、雨季が終わらない内に、異変が起きて、その為彼らは、急いでそこを離れた。

先に、メーチ・ケーウと老親メーチが、ここの湿気の多い気候に耐えきれず、また当地の食べ物も喉を通らなかった。ここの食事は、東北地方のように、さっぱりしたものではなかった。

程なく、老親メーチが病気になり、その病名は不明で、雨季が終わる頃には、病状は悪化して慢性麻痺の様相を呈し、挙動が不便になった。

アチャン・マハブーワは、故郷で病気を治すために、なるべく早く、彼女を連れて帰ることを、決意した。

バーンター村に帰ってみると、森林地域の新しい道場の大殿と茅葺小屋はすでに出来上がっていて、彼らの帰りを待っていた。

(6-6につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>