Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-10-04から1日間の記事一覧

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-40(200/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”身体、心と本性は、 明確な実相でもあり、 また分離された、 別々の実相でもある。 あらゆるもの一切は、 必ずや所知(=知られるもの) であるーー 地水火風; 色受想行識; 声色香味触と感情; 貪瞋と痴ーー …

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-39

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その夜、女性専門道場に戻って来ると、メーチ・ケーウは、光明心がなぜ、彼女の唯一の、恋々とした執着になるのか、その事を考えた。 彼女は、この一粒の心を非常に愛惜し、それが干渉を受けないように、保護した…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-38

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”試しに想像してみて欲しいのだが、あなたが、空っぽの部屋の中にいるとして、あなたは、周囲を見まわして、空っぽで、なにも無い・・・絶対に、何等のものも、空間を占拠していない、と言うーーその部屋の真ん中…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-37

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”空、光明、清らかさと明晰さ、楽しさは、皆、光明心における、微細な有為法である。 もし、あなたが、子細に空を観察し、持続的に注意したならば、あなたは、それが、実は、真正には、始終一如ではない事に、気…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-36

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”この光明空と、涅槃の清浄空を、同じものだと、誤解してはならない。 両者は、天と地ほどに、異なっている。 光明心とは、不断に輪廻する元来の心を含有しており、それは、純一で清浄に満ちているという事はなく…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-35

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”あなたは、心理現象を、それらを徹底的に超越する程に、観察した。残余の意識の汚染は、光を放つ所の、覚知の核心に戻り、心が自然に放光する所の、本性と合流する。 この光明は、かくも壮観で、かくも人を魅了…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-34

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一瞬間的内観清晰地洞見無明、 (一瞬の内観は、明晰に無明を洞察する) 令我們対這一純大苦聚集的執着厭倦、 (それは、我々をして、この一つの、大いなる苦が 聚する所の執着を厭い、倦むようにせしめる) 不再…