Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-35

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

”あなたは、心理現象を、それらを徹底的に超越する程に、観察した。残余の意識の汚染は、光を放つ所の、覚知の核心に戻り、心が自然に放光する所の、本性と合流する。

この光明は、かくも壮観で、かくも人を魅了するが、非凡で自在な覚知と、直観的な智慧でさえも、その中に迷い込むのを、避ける事ができない。

心の光明と、清らかさと明晰さは、かくの如くに凡俗を超え、かくの如くに、人をして畏敬させ、何ものとも、比べる事の出来ないものである。

この光明の核心は、功徳の円満、心霊の究極的な楽しさの化身であり、それはあなたの真正なる、本来の自我(=自己)--あなたの存在の核心なのである。

しかしながら、この真我はまた、‘生‘ と ‘有‘ への執着の、すべての根源であり、この光明の根本的な光明の誘惑は、最終的には、衆生を尽きる事のない生と滅に導きいれ、恒常的に、生に執着せしめ、死に遭遇せしめるものである。

”執着の根源とはすなわち、真正なる己への無知であり、無明が、意識の各種の汚染を引き起こし、意識的活動の持続力は、無明が逃避する通路である。

この領域において、無明は最高の統治者となる。

ひとたび、念と慧が、技巧を掌握して、意識的活動を消滅させて、この出口を閉じたならば、心理現象の流れが作り出した、有露の汚染は、停止する。

外部にある、すべての出口を締め切ったならば、無明は心の内にあって、外部を操縦することはできなくなり、圧迫されて、能知(=知るもの)の根源の、光を放つ中心に、集まって来る。

能知の中心は、光明の空(クウ)として顕現し、人はこれに対して、摂り込まれ、また驚かされる。

(5-36につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>