wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-9(220/240)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

作為仏弟子

仏弟子たるもの)

我們絶対不可以て対自身的実相一無所知、

(決して、己の実相について、無知のままに)

任由生命腐朽。

(生命を虚しく、朽ち果てさせてはならない。)

死亡時、要做到対心身没有絲豪牽挂、

(死ぬ時は、心身に、毛一筋程の思い入れも残さず)

放下自在地離去。

(自在に放下して、去るのがよい。)

心清浄

次の10年、メーチ・ケーウは大衆の慧命(=智慧ある命)を守るために、彼女が創設したサンガの運営に、命ある限り、全力を尽くした。

1977年6月、彼女は突然の病に襲われた。

実際には、彼女の身体は、病に蝕まれて相当の時間経っていたが、他人を煩わせたくなかったので、彼女はそれを、誰にも伝えずにいた。

病状が悪化して誰の目にも隠せなくなった今、彼女たちは、否応なく、彼女を病院に連れて行った。

医師の診断によると、彼女の半分の肺は、肺結核を患っていて、更に検査を進めると、糖尿病であることも分かった。

この時、彼女の身体は、すでに相当に弱くなっていて、激痛も伴い、病状は、危険な段階にあると思われた。

医師は、最悪の状況を予想して、彼女の病気は、すでに末期にあり、最も理想的な予後は、薬を飲みながら、一、二年生き延びる事だと、判断した。

そうこうしている内に、メーチ・ケーウは喘息を併発し、喀血もしたので、医師が再度検査した所、もう一方の肺に、悪性腫瘍が見つかった。

ここにおいて、三種類の疾病が確認された。

すなわち:肺結核、糖尿病と癌であった。

予後は悲観された。

一か月程入院したが、メーチ・ケーウは病状がどうあろうとも、退院して道場に帰りたい、と言いはった。

たとえ何時かは死ぬとしても、彼女は、己が慈しんだ森林の中の静かな環境の下、道友の看護と心配りの中で、死にたいと思った。

疾病は彼女の身体を損なったが、しかし、彼女の心模様は、非常に良好であった。病気には淡々と対応し、いかなる心理的なストレスもなく、彼女は全くもって、己の安危を気に掛けておらず、死ぬ事に対して、平然としていた。

彼女の心の中には、修行仲間、信者と友人の幸福だけが重要であって、己の身体などは、どうでもよかった。

彼女の本性から発せられる光は、彼らの行く道を照らし、彼らの心を照らした。

彼女の清浄なる慈心の下、一切の問題は、軽々と、一刀両断に解決した。

彼女が利益する事の出来る衆生が最も多くいる所、そこに彼女は、必ずいた・・・命の最後の一息の時まで。

一人の、バンコクで医師になった人がいて、名をペンスリと言った。

この人が、自ら志願して、メーチ・ケーウを看護する為に、卉晒村にやって来た。

ペンスリは医師になって20年経っていたが、メーチ・ケーウの身体を検査した後、専門的知識と最先端の薬を使って、肺結核と糖尿病を治療した。

彼女は、抗生物質で肺結核を治し、定期的にインシュリンを注射して、糖尿病をコントロールした。

癌に関しては、彼女にもよい治療法がなく、様子を見るしかなかった。

(6-10につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>