Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-4)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

在家の信徒衆は、出家の修行者に、衣服、飲料・食物、住居、医薬品などの、日常生活における必需品を供養・布施して、物質的な方面において、出家者を支援する。

そして、広大な信徒衆への謝恩として、仏陀は、出家者は、言語と行動の上において、人と天の教師となり、道徳的模範となり、心霊上、信仰上においても、在家に対して、援助と励まし、頼りになる支えとなるべきであると、言っている。

出家者は、在家信徒衆の精神的指導者であり、また心理的な医師でなければならない。

故に、南伝仏教の出家者は、戒律を厳しく保たねばならないだけでなく、止・観の修行に励み沈潜し、仏法の伝承を保持する以外に、適切な時と方法でもって、在家の俗人に対して仏法を宣揚し、多くの迷惑者(=迷っている人々)を導かねばならない。

この世界で、最も困難な仕事とは何かと問うたならば、それは、一つの良き福田になる仕事こそ、世界で最も困難な仕事であろう、と答える事ができる。

何故か?

というのも、一つの良い福田になるという仕事は、己自身に打ち勝ち、内心の貪・瞋・痴を克服し、悪い習気を克己し、己自身の好き嫌いに逆行して、散乱する心念を調服し、捨て難きを捨て、行じ難きを行じ、忍び難きを忍ぶ必要があるからである。

これは、なぜ、仏陀が《法句経・千品・103偈》で、戦場において、100万人の人々に打ち勝つより、己自身に打ち勝てる人間をば、讃嘆したのか、という理由でもある。

というのも、己の頭髪、金銭、肉親の情、晩餐、欲楽を犠牲にして、良き福田になる為に、(+修行に)励もうとする人は、まったくもって、この世には、いないからである。

故に、この世間に、良い福田が存在するという事は、非常に希な事であり、得難い事なのである。

好い福田のない世間では、一人の、非常に善を楽しみ、布施を好む善人が、毎日布施する食物の長さが何十、何百kmあっても、その果報は、一つの良い福田に、たった一匙のご飯を布施する場合の果報の、その何千万分の一にも及ばないのである!

こうした事から、出家者の任務は、黙々として、良き福田となる事であり、誰も履行したがらない、神聖な義務を履行する事である。

その為、出家者には、世人に敬われ、供養され、奉じられる価値があるのである。

たとえ、一人の清浄なる出家者が、積極的に説法して利生(=衆生を利益する)しない事があっても、(+彼が)ただ、人々の供養する食物を食用するだけであっても、人々が提供する所の奉仕を受け取るだけであっても、この世間において、大きな利益を齎すものなのである。

(3-5につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>