Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-35

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(二)定を得て智見ママが生じる(殊勝な知見ママ

を得る)。

あなたが定力を得た後、定力の光を借りて、あなたは心霊(=心)を導くことが出来、その事によって、肉眼で見えないものが見える(+ようになる)。

あなたは、己自身の、多くの過去世を見る事が出来るし、善趣の天界に生まれた衆生、たとえば、天神や梵天神も見えるし、悪道に生まれた衆生、たとえば、餓鬼なども見える。

これら一切は、あなたの思考を激発して、更に深く生命の意義について、理解することができる(+ようになる)。

(三)正念と覚醒(分別慧を得る)

いささかの正念と覚醒は、あなたを定の境界に入らせる。そして、この種の定力は、同時に、あなたの正念と覚醒を高めることになる。

ひとたび、あなたの心が非常に専注する時、あなたは(+あなたの)内部と外部における事・物を知覚する事ができる(+ようになる)。

強くて安定した定力は、物事が無常・苦・無我という特質を具有する事への気づき(+を齎す所の)正念と覚醒の基礎となる。

強くて安定した定を通して、あなたは正念によって、11種類の五取蘊、すなわち:

内部の、外部の、過去の、未来の、現在の、粗い、細かい、低劣な、高尚な、近い、遠い(+などの五取蘊)を、照見する事ができる。

唯一、このようにして初めて、あなたは五取蘊が構成する生死輪廻に、厭離を感じることが出来、(+また)一切の有為・因縁法を超越したいと思う事ができるのである。

(3-36につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-34

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

二、定(と涅槃)を伴う勝解(=優れた見解)

修行における定の重要性を理解した後、一人の学生として、定(と涅槃)に関する優れた見解、定への尊重、定への趣向を具備しなければならない。

【定の利益】

《増支部・四法集・第41経》:

(一)落ち着きのある安穏な梵住に入り進む(現法楽住を得る)

一切の、五根から生じる愉悦は、皆短い、暫定的なものである。

世間における最も美しく、好ましい享受でさえも、また、あなたに空虚、退屈さを感じさせる。

この種の快楽(=楽しさ)は、あなたの心を感動させることはできない。というのも、禅の修行を通すことでしか、更に大きな快楽を得ることができないが故に。そして、それは、心霊的な快楽なのである。

(3-35につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-33

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

6、解脱の欠けた意楽者:

私は「真我」の涅槃に回帰したい。

原因:仏法の修行を始めた時、あなたは涅槃を、恒常なる快楽(=楽しい)の楽園だと思っていた。あなたの修行が、高度なレベルに到達した時、あなたは涅槃とは一種の恒常で、大いなる快楽の伴う心霊的境界であると思った。

あなたにとって、涅槃とは、一切の因縁法を超越した、心までも超越した境界であるという事を、理解することが、非常に難しい。

これが、解脱に欠けた意楽である。

解脱意楽者:一切の有情の、生まれ変わりの禍を見て、一切の有為法を超越する、阿羅漢果を証悟したいと思う。

原因:修行を通して、あなたはようやく、一切の名色法と因縁法は、無常・苦・無我である事に覚醒する(+ことが出来た)。

無為法である涅槃のみが、恒常・楽・無我である。

一切の生存界における禍をみて、一切の生存界の中から解脱する為に、あなたは、解脱の意楽を胸に抱いて、涅槃へと趣き向う。

これが解脱意楽である。

◆結論:

六種類の行相の涅槃意楽;

1、貪行意楽/無貪意楽。

2、瞋恚意楽/無瞋意楽。

3、痴行意楽/無痴意楽。

4、出離に欠ける意楽/出離意楽。

5、独居に欠ける意楽/独居意楽。

6、解脱に欠ける意楽/解脱意楽。

(3-34につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

是誰庵のひとやすみ~翻訳の進捗予定

当翻訳文閲覧の皆様へ

「顕正法蔵」(パオ・セヤドー著)と「掌中の葉」(シッダッタ学院)の拙訳をお読み頂きまして、ありがとうございます。

気が向いた時に、二冊両方共翻訳したり、片方だけを翻訳したりしております。

ほぼ毎日、最低一回は翻訳していますが、用事で忙しかったり、なにげに気が乗らないで、連続して休む日もあり、申し訳ないです。

今年の年末は、タイと緬甸(ミャンマー)へ行きたいな、と思っています。

「掌中の葉」の残りページを点検してみましたら、一日1ページ翻訳して、ちょうど年末に終わりそうです。「顕正法蔵」は置いておいて、まずは、「掌中の葉」を終わらせようと思います(区切りをつけて、気持ちよく出発したいので)。

その後に、「顕正法蔵」の残り(2/3)を翻訳し、同時進行で、海外で修行されている法友に頼まれました「メーチ・ケーウ(阿羅漢尼修道証果の旅)」の翻訳を始めたいと思います。

簡単ながら、現時点での、翻訳の流れについて、概略ご説明申し上げました。よろしくお願いいたします。

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-32

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

独居意楽者:更に多くの時間を、深く生命現象の観照に打ち込んで証悟を得るために、私は静かな場所で、独居したいと思う。

原因:他人を理解して支援する事は、増上行の重要な基礎となる。一般的に、このことを理解した上で、人は修行の道において、誠心誠意、他人を支援し始める。

この基礎が完成した所において、智慧ある人は、慈悲行における純粋な実践が、最終的な解脱を齎すことは、ないと知る。

衆生の色々な願望を、絶え間なく叶えてあげる事は、彼らを助ける最終的な方法でもない。

在家の禍を見る;

この種の、群衆に奉仕しようとする社会的責任は、(+その上限がなく)止まることを知らないのである。

命は短い;

証悟の道は、容易ではない。

我々は、今、群衆から離れて、定力を育成しなければならない時である。

我々は、(+心)静かになって、更に高度な、真実なる法を透視(=徹底的に見る)しなければならない。。

もうすぐ究極なる円満者(仏陀)になろうとしていた菩薩でさえも、王宮や、彼に仕える五人の比丘から離れて、独居の力を借りて、仏果を証得するより他なかったのであるから、では、あなたなら?

独居とは、私にとって、更に高度な定・慧と求めるためであり、証悟を得るための方法でもある。

これが独居の意楽である。

(3-33につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

是誰庵のひとやすみ~唯我独尊

先日、メールで、こんな宣伝文が届きました。

★世界初の特製ダイエット・サプリメント

会員様13万人全員にお分けしたい所ですが、今回は、たった853人のみ、あなたはその853人のうちの一人に選ばれました!

いかがですか?

特製のダイエット・サプリメント!★

あ、あのね。

そんなに効くなら、853人と言わず、13万人と言わず、全世界に売っちゃって下さい。美容はともかく、病的な肥満でお困りの方々にとって、朗報でしょ??

さて、人は<あなたは選ばれた特別な人間です!>というキャッチ・フレーズに弱い。

自尊心をくすぐるのでしょうか、劣等感を癒すのでしょうか?

よく分かりませんが、とにかく「あなただけよ」と言われると、すぐ騙されてしまうのですね。

仏法では、こう言います。

天上天下唯我独尊>

これ、「仏陀が『私が一番偉いのだ』と言った」と伝えられていますが、そんなことはない。

仏陀は漏尽者と言って、徹底的に謙虚ですから、自分が一番偉いなんて、言いませんよ。

仏教では、業を言います。

業とは、良きにつけ悪しきにつけ、あなたの心の癖の事です(その心によって引き起こされた行為と、行為から生じた結果も含む)。

業は、発動される場合もあれば、潜在意識(有分心)に眠ったままのもあります。

一人一人の業は、皆違った顔を持っています。

指紋が各人異なるように、業もまた、一人として同じという事はありません。

仏陀は、業だけがあなたの財産だ、と言います。

前世から持越して来て、来世へと携えていけるもの、それは富でもなく、名声でもなく、人の心に埋め込まれた指向性エネルギー、業しかないからです。

世界に一つしかない己の業を認め、大切にし、業を乗り越えて、来世へとつなげていく。

それが<唯我独尊>だと、私は思っています。

人は、一人で生きていかねばならないのです。

 

 

 

 

 

是誰庵のひとやすみ~庭木の断捨離

庭の木々が、エライことになっています。

5月6月と非常に忙しく、7月は梅雨だ、豪雨だ、台風だと、雨ばかり・・・だったので、庭の手入れを怠っていましたら、もう、木々は勝手に、どんどん空に向かって伸びて、その上を、蔓草が傘みたいに覆い被っって・・・、

コリャいかん!

屋内の断捨離は大分できたけれど、ヨシ、今度は庭だにゃぁ!!

今朝は早くから、片手に剪定ばさみ、片手に鋸を持って、こっちをチョキチョキ、あっちをゴリゴリ。

木にからまっている蔓草、アケビは惜しいけれど、いちいち「これはアケビ」「これはカズラ」と分けていられないので、涙を呑んで、まとめてブッチン(本当、涙。私、アケビ好き)。

さてさて、漫画で、主人公がびっくりした時に、<手に持った品物を落とす>っていう、定番のギャグがありますが、今朝、私、庭でそれやりました。

サツキの枝をバンバン切って、ふと顔を上げると視界の先に、見たこともない大木が!!

「え~~と、あれ、うちの敷地内の木、それとも隣の敷地の木?」と、一瞬思考停止。

そして、脳の回転が緩やかに戻ってきて、それが我が家の敷地内の木だと確認取れたとき、

 「えっ~~~~~~~~!!!!

いつの間に~~~~~!!!!!

私、3mにもなる木なんて植えてないよ~~~~!!!!」と叫んで、手に持っていた剪定ばさみを落としてしまったのでした。

ホント、漫画の通り(笑)

後で、恐る恐る、もう一度確かめてみましたら、確かに、我が家の敷地内に前からある、柿の木でした。

我が家の柿の木って、ひょろっとしていて、葉っぱもウスチョロゲ、はげ気味で、たいして実もならず、無いも同然、ずっと無視し続けてきたのですが、なんで今頃、急に、3mにもなる大木に成長してんの?それも、葉っぱ、フサフサ、超密集!密集!

アデランスした??

あ、あんまり立派過ぎて、これは切れないわ(苦笑)。

かくて我が家の断捨離は、またまた中途半端に終わりそうな気配です。