☆「掌中の葉」(翻訳文)3-33
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
6、解脱の欠けた意楽者:
私は「真我」の涅槃に回帰したい。
原因:仏法の修行を始めた時、あなたは涅槃を、恒常なる快楽(=楽しい)の楽園だと思っていた。あなたの修行が、高度なレベルに到達した時、あなたは涅槃とは一種の恒常で、大いなる快楽の伴う心霊的境界であると思った。
あなたにとって、涅槃とは、一切の因縁法を超越した、心までも超越した境界であるという事を、理解することが、非常に難しい。
これが、解脱に欠けた意楽である。
解脱意楽者:一切の有情の、生まれ変わりの禍を見て、一切の有為法を超越する、阿羅漢果を証悟したいと思う。
原因:修行を通して、あなたはようやく、一切の名色法と因縁法は、無常・苦・無我である事に覚醒する(+ことが出来た)。
無為法である涅槃のみが、恒常・楽・無我である。
一切の生存界における禍をみて、一切の生存界の中から解脱する為に、あなたは、解脱の意楽を胸に抱いて、涅槃へと趣き向う。
これが解脱意楽である。
◆結論:
六種類の行相の涅槃意楽;
1、貪行意楽/無貪意楽。
2、瞋恚意楽/無瞋意楽。
3、痴行意楽/無痴意楽。
4、出離に欠ける意楽/出離意楽。
5、独居に欠ける意楽/独居意楽。
6、解脱に欠ける意楽/解脱意楽。
(3-34につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>