Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-14)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

この段階において、我々は、禅修行者たちに対して、彼らが、これらの異なるグループの、11種類の五蘊の三相に関して行う観照に対して、修習・実践を強化できる様に、異なる方法を用いて、指導する事となる。

禅修行者が刹那刹那に、はっきりと、明確に、それらを照見できるとき、この種の観智は 

”生滅随観智”(Udayabbayānuvassanā ñāṇa)と呼ばれる。

この観業処の修習の、初期の段階においては、あなたの観智は ”初観智”(taruṇa vipassanañāṇa)と呼ばれる。

この段階において、あなたは、これまで経験したことのない程の、光明を経験するかもしれない。その時、あなたは、名色の智に対して、以前に体験した事のないほどに、鋭利になるし、あなたはまた、以前に経験した事のない程の、喜を体験し、長期的な軽安を経験し、極めて殊勝な楽を体験し、非常に強い信心(=確信)と勝解を体験し、極めてバランスの取れた精進と、持久的な精進を体験し、非常に強固な正念と、中捨を体験するであろう。

経験の不足の為、あなたは、これらの体験が、道・果を証悟したものである、と誤解する可能性があるが、その結果、あなたは、それらに執着し始め、かつ、邪見と我慢(=傲慢、慢心)を増長させることがある。

故に、これらの体験を

”観の汚染”(vipassananupakkilesa)と呼ぶ。

それらは非常に危険である。

というのも、それらはあなたをして、正道から離脱せしめ、岐路に迷い込ませる可能性が、あるからである。

もし、あなたに、一人の賢明で、善くて巧みな教師がいたならば、あなたは、これらの経験をば、無常・苦・無我である、と知見する事ができる。

この種の方法は、あなたに再度、煩悩を鎮伏させ、正道に戻らせしめ、かつ、

”強力な観智”(balava vipassanāñāṇa)を、育成せしめることができる。

こうして、あなたは、観業処の第二段階を、完成する事ができた。

【[2.1]あるいは、身随観において、生起の法(samudayadhammā)所に住し、

[2.2]あるいは、身随観において、壊滅の法(vayadhammā)において住し、

[2.3]あるいは、身随観において、生起と壊滅の法(samudayavaya dhammā)に住する。】

(9-15につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-13)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

上に述べたものは、禅修行者が観の修習の時に観照しなければならない所の、三種類の相(tilakkhaṇa)である。

あなたは過去、現在、未来、内と外、粗さと微細さ、劣等さと優秀さ、遠いと近い、という五蘊の三相を識別しなければならない。

同様に、あなたは、(+我々が)以前に述べた所の、一切(sabbaṃ)の三相もまた、識別しなければならない。

それはすなわち、眼処、色処、眼識、眼触、および眼触の縁によりて生じる所の、受・想・思、愛、尋等々もまた、識別しなければならない[+と言う事である。)

耳、鼻、舌、身と意等、すでに証得した所の、ジャーナを含むすべての行法、また、縁起における 12支も、識別しなければならない。

この種の観智は”思惟智”(Sammasana ñāṇa)と言う。

すべてのグループの、それぞれの行法の三相を了知しなければならない為、また ”聚思惟”(Kalāpa sammasana)とも言う。

(9-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-12)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

刹那生滅の識別

引き続き、次は、刹那生滅(khaṇato udayabbaya)

(+の説明)である。

それは、諸蘊の刹那刹那の生起、壊滅と変易を言うのである。

(1)諸蘊は生起するや否や、それらは即刻、極めて速くに壊滅する。

これは、それらの無常相(aniccalakkhaṇa)である。

(2)それらは常に、生・滅の、絶え間ない圧迫に面している。

これは、それらの苦相(dukkhalakkhaṇa)である。

(3)仏陀は、無常と苦によって、それらは永恒の実体、永恒の自我を持つことがない、と言う。

これは、それらの無我相(anattalakkhṇa)である。

(9-13につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-11)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

縁滅の識別

逆順(paṭiloma)の縁起とは、12支縁起すべての還滅を言う。

これらの因支は、阿羅漢を証悟した時に無効となる。

それは、阿羅漢道の威力によって、煩悩輪転は余すところなく滅尽するが故に・・・すなわち、無明、愛、取の滅尽であり、これを ”煩悩般涅槃” (kilesa parinibbāna)と呼ぶ。

というのも、煩悩が般涅槃すれば、業輪転は滅尽し、それはすなわち、業行と業力の滅尽であるが故に。

この五因が滅尽したため、当該の阿羅漢が阿羅漢果を証悟する以前に累積した所の善または不善の業は、その死後、どの様な来世をも引き寄せる所の、どの様な力も持たないからである。

しかしながら、果報輪転としての、五果はいまだ継続して運用している・・・当該の阿羅漢が世を去るまで。

阿羅漢が世を去るのは ”般涅槃死”(parinibbāna cuti)であって、また ”蘊般涅槃”(khandha parinibbāna)とも言う。

それはすなわち、果報輪転の完全な、余す所ない滅尽であって、五果さえも二度と再び存在することがない。

もし、あなたが観の修習に精進し、かつ充分に強い過去の波羅密があるならば、観智が成熟した時、あなたは今生において、阿羅漢になることができるか、または未来世において、阿羅漢になる事ができる。

禅の修行に勤勉でありさえすれば、あなたは、自分自身が、未来において阿羅漢を証悟するのを見ることができるであろう。

もし、あなたが禅の修行を放棄して、ただ欲楽を享受するだけであるならば、あなたの未来は変化してしまうであろう。

逆順の縁起を識別する事は、すなわち、未来の阿羅漢を識別する事、または今生、または未来世の・・・。

先ほど解説した通りに、これは五因と五果の未来における完全な滅尽を識別するものである。

あなたが己自身の証知を通して、正順と逆順の縁起の二者を知見することができるならば、この種の証知は、異なる類型の邪見ーー常見と断見ーーを断じ除く事ができる。

もし、あなたが己自身自らの知見でもって、正順と逆順の二つの縁起を、見ることができないのならば、これらの異なる類型の邪見を断じ除く事はできない。

これが、縁生滅(paccayato udayabbaya)である。

この種の観智は、また ”縁摂受智”(Paccayapariggaha ñāṇa)とも言う。

(+あなたが)この段階における(+修習に成功したならば)、我々が、以前に言及した所の、三種類の遍知の内の第一番目ーー知遍知(nāta pariññā)を、あなたはすでに完成したのだ、と言える。

(9-12につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-10)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

ここにおいて、前世の最後の一個の心路の所縁は、同時に今世の一番目の心でもあるーーすなわち、結生心(paṭisandhi citta)の所縁である(+事が分かる)。

この所縁の出現は、あなたの前世の臨終において、成熟した所の業力であり、その果報とはすなわち、あなたの結生心である。

結生心の所縁は、また、今生の有分心の所縁でもあり、また同じく、今生の死心の所縁でもある。

この事は、我々が以前に、有分心について論談した時に、すでに言及した。(有分心とは、過去のあの所縁を取るが故に・・・故に人が ”有分に落ちる” 時、全く何も分からなくなるのである。)

あなたがすでに、過去生の臨死心路の所縁を、識別したのならば、今生を引き起こすことになった果報の諸蘊(vipākakkhandha)の業輪転もまた、識別することができる:

すなわち、善思とその他の名法、および今生を齎した業生色法(kammajarūpa)と果報名法(vipākanāma)の業力(+を識別する事ができるのである。)

この様に、あなたは己自身自らの証知によって、五因が原因で、結生の時に五果が生じるる事を自ら見ることができる:無明、愛、取、業行と業有(業力)によって、今生の結生の時に識、名色、六処、触と受を生起せしめる(+事を知ることができる。)

人類としての結生は、まだ六処は形成されていない為に、二処だけである:意処/心処と身処である。

眼、耳、鼻、舌処は、その後、胚胎として、成長して後に、ようやく生起するのである。

これが、如何にして、五蘊または名色の縁起を己自身自ら見るのかという説明である。前に述べた通り、これはまた、縁生の観照(paccayato udaya)とも言う。

(9-11につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9‐9)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(125/160)

(1)業(kamma):

同一の一生の中における、更に早い時期または、ある過去世の中において、造(ナ)した所の、善業の思(=思い)。

例えば、あなたが、比丘に食べ物を供養したか、またはその他の受取人がいた所の、それに相応する所の、楽しみを思い出すことが出来るか、または禅修と相応する所の楽しさ、または中捨を思い出すことができる。

(2)業相(kamma nimitta):

同一の一生の中における、更に早い時期または、ある過去世の中において、造(ナ)した所の善業と相応する所縁。

もし、あなたが前世において、名医であったならば、病人が見えるかもしれない;

もし、あなたが、三宝の弟子であったならば、比丘または仏像、またはパーリ経文を聞いたり、誦えていたりするかもしれない;

もし、あなたが禅修行者であれば、過去になされた禅修の業処の似相が、見えるかもしれない。

(3)趣相(gati nimitta):

一人の人間が生まれ変わろうとしている、生まれ変わる先の影像。

人として生まれ変わろうとしているならば、それは、あなたの現世の母親の子宮であり、赤い絨毯の様に見える。

(9-10につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

これらの例の中において、業行(saṅkhāra)は、布施又は、入禅の善思(kusala cetanā)であり、業(kamma)は、それらの業力である。

これら二者は、業転輪(kammavaṭṭa)を構成する中心

(+点)に出現する。

発願した願が、不善業に属するものであっても、しかし、それは業転輪ではない。

というのも、それは仏塔(+へ)の布施、または仏像(+へ)の布施という目的を、履行するためのものであるが故にーー(+その後に)煩悩輪転が生起するた故に、業輪転が生起するのである。

あなたが、最も近い過去の煩悩輪転と、業輪転の名色法を識別することができたならば、更に遠くの過去に遡って行き、布施をした時、またはジャーナに入った時の、その前の、何ほどかの時間・時期まで戻ったならば、同様の方法を用いて、名色法を、識別する。

その後に更に、逆に少しばかり押し戻って、当該の過程を、繰り返し識別する。

この方法でもって、一日前、一週間前、一か月前、一年、二年、三年などの名色法を識別し、最後には、あなたの今生の第一番目の心識ーー結生心(paṭisandhi citta)--に相応する名色法を精確に識別できる様にする。当該の名色法は、あなたの今生の結生である。

結生の因を探している時、あなたは前に向かって逆に、過去世に向かって遡って行くべきである。

この時あなたは、前世の臨終の時の名色法、または過去世の臨死心路(=臨終心路。maraṇasanna-vīthi)--前世の死心が生起する前の最後の心路--の所縁を見ることができる。臨死心路の所縁は、三種類の可能性がある。あなたは人として生まれ変わっているため、それらは善とのみ相応しているものである:

(9-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>